感じる光

 僅かに空気を震わせたその音に、は意識を浮上させた。

 相手の姿は見えないが、そろそろとこちらに向かってくる者の気配は感じる。

「梵天丸様、いかがなさいました?」

 そっとそう呼びかけ、この辺りと検討を付けた辺りに手を伸ばしてやれば、小さな指が絡んで来た。

「良く解ったな……」

「足音には人それぞれ微妙な違いがございますので」

 は両目の視力が弱く、強い光などを嫌う為、昼間のうちは目を薬を塗った布で覆っている。

 戦では全く役には立たないが、医者として高い技術を持つはこの城では十分重宝されていた。

 特に疱瘡によって右目をなくした梵天丸の治療する者として、同じ目を痛めるは適任である。

「何かございましたか?」

 ここに来る事は良くあったが、今日は何処となく様子がおかしい。

 そうかと言って、どうしたのかとは尋ねる事はしない。

 梵天丸は幼いが人に弱みを見せることはしないので、人に話したい時には自ら話すし、話したくない時には絶対に話さない。

 しばらく黙っていると、梵天丸はぽすっとの膝に頭を乗せた。

は目が見えぬことが恐ろしくはないか?」

 小さな控えめな問いに、は優しく答えた。

「とても恐ろしいですよ」

 何時誰が自分に危害を加えるとも解らず、目の前に何があるかも解らない。

 そして、一番恐ろしいのが常に自分の前に闇が居座り続けることなのだ。

 いくら梵天丸が片目とはいえ、それでも視界には嫌でも闇が映る。

「それでも、見ること以外の物があるのでそうでもございませんよ」

 すっと膝の上に乗せられた梵天丸の頭の重さがなくなる。

 の言葉に興味を持ったのか、気配で向かい合ってこちらの顔をじっと見つめているのが解った。

「音、匂い、感覚、味……五感のうち一つがなくなったところで、人の声や温度は感じることが出来ます。むしろ、目が見えぬ方が人の本質が解るのではないかと思います。梵天丸様も病を患ったことで失った物もあれば、逆に得る物もおありでしたでしょう?」

 実の母から疎まれ、家督を継ぐの事も危うくなった。それでも、小十郎という絶対的な信頼を寄せるに値する小姓を得、これから先さらに多くの物を手に入れるだろう。

 も視力と体が弱く、武家の長男としてはなんの役にも立たなかった。

 それでも人よりも敏感な嗅覚と味覚を活かして医者となり、こうして居場所を得る事が出来た。

 視力と引き換えにしてもおつりが十分に来るほどだ。

「だから、恐ろしくともそれに飲まれることはありません」

 の言わんとする事を察したらしい梵天丸は、うむと返事をした。

はこれから先、梵天丸の傍にいてくれるか?」

「貴方様が望むままに」

 丁寧に一礼したところで、遠くの方から足音が聞こえて、は小さく笑った。

「どうした?」

「小十郎がどなたか探しているようでございます」

 の声に、あ、と梵天丸は小さく呟く。

 もしかしたら稽古か勉強を抜け出して来たのかもしれない。

……」

「言い訳作りに、少し早めですが薬をお塗りいたしましょうか?」

 視力程度でこれほどのものが得られるならば、いっそ目などなくても良い。

 こうして自分を必要としてくれる者がいれば、闇など恐れるに足りぬ。

 感じられる光があるのだから。

ー幕ー

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