右目の代価

 部屋の外に人の気配を感じ、は薬草を磨り潰す手を止めた。

 そっと耳を済ませると、聞きなれた人間の足音だが、一向にこちらに入って来る様子がない。

 何やら躊躇っている様子なので、ならばこちらからと戸をそっと開けると、相手の息を呑む音が聞えた。

「良く……お解りになられましたね」

「目が見えないので気配に敏感なのですよ。小十郎様」

 話は中でと、小十郎を招き入れて、しっかりと戸を閉じた。

「薄暗い部屋で申し訳ない」

「いえ、殿の目が光に弱い事は存じております故、お気になさらず」

 丁度湯を沸かしていたので、それで茶を入れると、小十郎の前へ差出す。

「目を隠していても、見えるものなのですか?」

 心底不思議そうな声に、は軽く笑った。

「まさか。この部屋の大きさや、物の位置は手に取るように解りますし、小十郎様がどの当たりにいらっしゃるかを感じているだけですよ」

 最も、この部屋は北側にあり、日の光が入らないので外しても問題はないのだが。

「それで、わざわざ私などに用ということは、梵天丸様のことですね?」

 小十郎が侍医であるの元に訪れるのは、この一つしかない。

 家督を継ぐ者でありながら、疱瘡で失った右目のせいで実の母に疎まれ、家臣にまで陰口を叩かれている。

 子供は大人の事を案外見ているものだし、明かな侮蔑の眼差しを向けられれば気を塞ぐ。

 家督を継ぐにせよ継がぬにせよ、このままでは梵天丸はこの家で生きて行く事は出来ないだろう。

 疱瘡の時にはも出来得る限りの手をつくしたが、どうにもならなかった。

 今も薬を塗ったりしているものの、良くはならないだろう。

 それは小十郎も知っているだろうが、その上で何かしらを考えてここに来たのだ。

 は黙って小十郎の言葉を待った。

 少しばかり逡巡したあと、小十郎は口を開いた。

「梵天丸様の右目を……取り出す事は可能でしょうか?」

 は少し冷めた茶を口にし、あっさりと頷いた。

「既に右目は壊死しています。感染症を防げさえすれば問題はないでしょう」

 小十郎の反応が全く返ってこないので、どうしたものかと目を覆う布を外す。

 目の前に、普段の小十郎では有り得ないような、ぽかんとした表情をしていたの見て、は噴出した。

「……殿……!!」

「……っもう……しわけございません……ついっ……」

 声は出さなかったものの、腹筋が痛くなるくらい久々に笑い、必死で抑えてようやく笑いを収める。

 姿勢を正してもう一度小十郎に向き直った。

「……それで、なんでしょう」

「いえ、その……咎めたりしないのですか?」

 今更何を、とは微笑した。

「確かに幼い梵天丸様に、刃を突き付けるとなると周囲が五月蝿いでしょう。しかし、梵天丸様がそれで立ち直れるのだとしたら、それはそれで良いと思います」

 あくまで、それは本人が決める事だ。

 や小十郎は、その後の手助けをほんの少しするだけなのだ。

「ただ、それを言い出したからには、小十郎様が手ずからなさってください。以後、梵天丸様の右目になる御方なのですから」

 すっと見据えると、小十郎もの目を見返してくる。

「無論。この命にかけましても」

 ふっと息を抜いて、はほんの少し姿勢を崩す。

「梵天丸様が頷いたのなら、何時でも宜しいのでこちらまでいらしてください」

「解りました。殿、ありがとうございます」

 新たな決意を持って出て行く小十郎の背を眺めつつ、は笑った。

「梵天丸様、失ったものより得るもの方が大きそうですね」

 それに、彼が気付くのはきっともう直ぐの事。

ー幕ー

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