箱庭の訪問者

 織田、豊臣、徳川、武田、上杉、伊達。

 この六国と手を結んだ小国の噂を聞いた。主に頼まれたわけではないが、どうにも気になった小太郎は、その小国を目指して闇の中を走っていた。

 任務ではないし、あくまで偵察なので無用な殺しはなるべくしない方が得策だ。そのため、いつもより慎重に小太郎は闇を進んでいた。

 周囲の国からの一切の干渉を受けないその国は、小さな豪族が一代にして築き上げた幻の国。

 財力はあれど、国力はいささか心もとないという噂は聞いている。

 城は警備する者が居るが簡単に入り込めた。

 それは油断しているのか、どこそれと同盟を結んだという情報を、故意に進入した忍に流すためか、何らかの罠かもしれない。

 得体の知れない国、というのが最初の印象である。

 実態が掴めず、何を考えているのかもわからない。

 今流されている情報すら、どこまでが真実なのかも怪しい。

 あたりを警戒しても他の忍はいないらしく、そっと闇に紛れて小さな天守の傍にある立派な木の陰に隠れて様子を伺う。

 欄干にもたれるようにして、そこにその人物はいた。

 無造作に背に流された黒髪は闇の中にあっても灯火で艶々と輝いている。

 白い肌に切れ長の瞳。女の城主もいるが、この国の主は男だと聞いていたが、女性と見紛うほど美しい容貌であった。

 ただ、体調でも悪いのか、やや気だるげでどこかぼんやりとしているように見える。

「夜に来るよりも……昼の間の方が今の倍、良い眺めが見えるぞ」

 その言葉にまさか、とは思ったがこちらにちらりと視線が向けられて最初から気づかれていたのだと分かった。

 何時もだったら姿を見られた瞬間にその命を奪っているところだが、今日はその気も起きない。

 今日は偵察できただけで、相手がやけに無防備すぎるというのもあるが、殺してしまうのが惜しい気がしていた。

 ふわりとその人物の傍に立つと、僅かに目を見開いただけで、直ぐに目が細められる。

 

「ふふ、何処の者か知らぬが我はこの箱庭さえ守れればそれで良い。そなたの主の害にならぬよ」

 やんわりとしたその言葉に嘘偽りはないように思えた。

 

「……」

 言葉を持たぬために言葉は返せなかったが、それでもその人物は機嫌を損ねることなく、慈愛を込めた眼差しで闇を見つめる。

 見つめる先は先ほど通過してきた城下町。

 夜目が利く小太郎であるが、流石に町の様子はぼんやりと見ることしかできないが、それでも美しい町なのだろうと思う。

 そのままぼうとしていたら、すっと白い手が持ち上げられ床を指し示した。

「座ったらどうだ? 茶は出ぬが暫しの休憩にはなろう……」

 自分は気にしないが、ずっと立ちっぱなしというのも気になるのかと、大人しく座ると鈴を転がしたような笑いが響く。

「ふふ、対した事ではない。敵とも知れぬのに、我もそなたも良くこうして話していられるものだと思うてな」

「……」

 思い返してみればそうだ。

 自分自身はこの身一つで逃げ切れる自身があるが、相手は何時殺されるとも思わないのだろうか。

 おかしいのは己もまた同じで、簡単に殺すことができるのにやはり、初めて会ったというのに殺すのが惜しいのだ。

 もう少しこのままで、と思っていると、相手が少しだけ繭を潜めた。

 最初に見たとき、何処か体調が悪そうだったのを思い出す。

 灯火の傍でよく見れば顔色も悪い。

 このまま夜風にさらされては、余計具合が悪くなるのだろうと、そっと近寄った。

 ぼんやりとした瞳で見上げられたが、抵抗はされないようなので、壊れ物を扱うようにそっと体を抱き上げる。

 既に褥は用意されていたので、その上にそっと横たえさせると、また小さな笑い声が響く。

「済まないな。来られるなら……今度は昼に来るとよい。この礼に、我が箱庭を案内しよう」

 余程疲れていたのか、言うなり目蓋が閉じられる。

 そっと上に衣を掛け、眠りを妨げぬように障子を閉めて灯火を消した。

 少し名残惜しいが、そのまま闇に向かって走り出す。

 ―――今度は昼に来るとよい

 その言葉が柔らかく頭に響く。

 偵察や監視ではなく、またこの国訪れる事ができたら。

 今度は、美しい箱庭を日の元で一緒に歩きたいと思った。

ー幕ー

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