君の家まで

 練習が終わる時間は聞いていたから、それまでは練習室を見ながらスケッチブックに筆を走らせた。
 外からはあまりはっきりとは見えないけれど、甘くゆったりと響くヴァイオリンの旋律が確かに聞こえてくる。
 先日見た学内コンクールの中で蓮の姿が頭から離れなくて、こうして勝手に書かせてもらっている。
 付き合っているから一言書かせてくれと言えばいいのだろうがどうも言いづらくて、一度書きたいと言った時もいい顔はしなかった。
 ヴァイオリンを弾く時が蓮の中で特別なんだろう、感情をあまり表に出さないのに最近は音に自分の感情を乗せて弾くようになった。
「何を書いている?」
 訝しげな声がすぐ傍から聞こえて驚いて顔を上げると、蓮の綺麗な顔が間近にあっては慌ててスケッチブックを閉じた。 「いや、な、なんでもない。練習終わったのか」
「あぁ」
 思ったよりも絵に集中していたらしく、ヴァイオリンの旋律が止まっていたのにも気付くことが出来なかったのが少し自分でも意外だった。
「そんなに薄着をして、また風邪をひくぞ」
 薄着といってもブレザーは着ているしその下にはちゃんとセーターを着ているのだが、蓮から見れば上に着ていないから寒く見えるのだろうか。
 ベージュのコートに身を包んだ蓮は手袋をして、愛用のヴァイオリンを携えていてこのまま此処で足止めさせるのも申し訳なかった。
「大丈夫だ。それより、帰ろう」
 ベンチから腰を上げるとふわりと首に温かいマフラーが首に巻かれて、目を見張れば蓮が少し頬を染めて横を向いた。
 付き合い始めた頃はそれこそ置いていくぞと言わんばかりの剣幕で、けんもほろろの状態だったのにきっといい傾向なのだろうと思う。
 このまま一緒にいられたらいいと思っているが現実ではそういう訳にもいかず、蓮は留学への道が待っているしには美大を目指すために予備校へ行くことが決まっている。
 もう少し前から一緒にいられて色んな時間を共にゆっくりと過ごしたかった、そう思っているから思わず筆をとって蓮を記憶しておこうと思っているのかもしれないと最近気付いた。
「思っていたが、今度家に行ってもいいか」
「うん?」
 唐突な御宅訪問の申し出につい疑問系で返してしまったに、蓮は嘆息をもらして大丈夫かと冷たい瞳を向けてきた。
「この間、絵を書くときにイメージを膨らませるのに写真を撮ると言っていただろう。見せてくれるといったのはじゃなかったか?」
 そう言えばこの間一緒に帰ったときに写真の話になり、瞬間を収めておける写真も重宝していていつも持ち歩いて気に入ったら撮っていると話したのを思い出した。
「わかった。それなら蓮の家の方が遠いし、うちによって写真持って帰って見ていいから。俺の家で見ると帰る時間遅くなるし、練習だってあるだろう?」
「わかった。じゃあ、そうさせてもらう」
 蓮と一緒に自宅へ戻り適当に最近撮ったものを手渡して、帰り道を送る為に一緒に家を出れば寒い風が二人を包んで思わず首をすくめた蓮が目に入った。
 そういえばマフラーを借りたままだったと気付いて、そっと首にかけると澄んだ青い瞳が真っ直ぐに律を見ていて思わず身体が勝手に動いて唇をそっと塞いでいた。
「っ……」
 びくりと震えた肩に我に返って慌てて離れれば、手で唇を押さえている蓮がいて失敗したなと思ってそっと蓮の手に触れた。 「ごめん」
「……突然やらないでくれ」
 そっと呟かれた言葉に小さく頷くと、蓮はの手を握ってそっと一歩を踏み出して歩き出した。
「もう嫌がることはしないから」
「そうしてくれ。そうしないと……心臓が持たないだろ」
 自分の言った言葉がどれほど破壊力を持っているのか蓮はきっとわかっていないだろうと思うが、は嬉しくてそっと蓮の指に指を絡めて同じ道を歩いた。
 渡した写真の中に蓮の写真があったと気付いて怒られたのはもう少し後の話。

ー幕ー

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