甘い指先

 甘い物は苦手でお菓子やデザートは見た目が可愛かったり、外装で一目惚れしたりして買ってくるわりには食べない。
 そんなの買ってくる甘味を食べるのは、いつの間にか幼馴染の土浦梁太郎の姉の仕事になりつつあった。
「また買ってきたのか」
 インターホン前で扉が開かれるのを待っていると、後ろから聞き慣れた声がして振り返ると珍しく制服姿の梁太郎がいた。
 いつもは土日は私服なのに珍しいと思っていると、ふっと梁太郎が笑ってくしゃりとの髪を撫でて追い抜かす。
 ほら、と開けられた扉と笑顔の梁太郎を見てにも笑みが浮かんだ。
「今日は学校?」
 リビングに入ってから問いかけると、梁太郎は嫌そうな声で肯定したがいかにも何かありましたと言わんばかりの態度には苦笑を漏らした。
 前々から隠し事や嘘をつかない梁太郎が言い淀むのは、大抵何か言いたくない事が起きた時でじっと 梁太郎を見ると小さくため息をついた。
「ちょっと来いよ」
「うん」
 梁太郎が向かった先には家族が使っているピアノがあって、はそっと鍵盤に指を置いた。
 白と黒の鍵盤が織り成す旋律は好きだったが、梁太郎の奏でる音を最近は全然聞いていない。
「今日学内コンクールだったんだよ」
 ばつが悪そうに梁太郎が呟くと、の中で黒い感情が胸に広がるのがわかった。
 梁太郎がピアノから離れると聞いた時あれだけピアノ好きだったのに辞めていいのか、後悔しないのかと聞いたのに。
 その梁太郎がピアノに戻ってたきっかけが他にあって、自分が知らない所で梁太郎の生活が変わる。
 当たり前の事なのに、いつまでも自分の記憶の中の梁太郎だと思っていた自分に呆れる。
「そう。ごめん、帰るね。疲れてるでしょ」
 自嘲するような笑みしか浮かべられなくて、でもそんな顔は見られたくなくて下を向いてそう告げればいきなり腕を掴まれた。
「言わなかった事は謝るから」
「別に梁太郎に怒ってる訳じゃない。身近にいると思ったのに、何も知らなかった自分に腹が立っただけ」
 言い終わったか否かの所で顎を掴まれ、そのまま強引に口付けられた。
 息も上手く吸えないぐらいに長いキスに頭がくらくらして、身体の力が抜けるとそっと梁太郎が支えてくれる。
「悪りぃ、あんまり可愛い事言うから」
「なっ、何がっ」
 かっとなって言い返すと、梁太郎が嬉しそうに目を細めて笑っていてこっちまで恥ずかしくなった。
「俺の一番じゃないのが気に入らなかったんだろ?」
 そっと耳元で言われて思わずびくりと反応してしまい、恥ずかしくて梁太郎の肩口に頭を寄せる。  そんなを労わるように優しく頭を撫でて、そっと抱きしめた。
「あれだけ必死に話し聞いてくれたのに、簡単にピアノまた始めるなんて言えないだろ。言うならきちんとコンクールで結果だしてからだと思ってた。ごめんな」
「なら、何か聞かせて」
 ぎゅっとしがみついて言えばいいぜと了承が返ってきて、肩を抱かれて梁太郎が座った椅子の真ん中に座らされた。
 幾ら何でも弾きにくくはないのかと思うが、ちらりと視線を向ければ笑顔でこちらを見返してくる。
 梁太郎が良いならもう良いやと思って鍵盤を見つめると、梁太郎の長い指先が動くと共に流れるような旋律が流れる。
 24の前奏曲第15番 変ニ長調『雨だれ』で梁太郎が好きなショパンの曲だった。
 そっと梁太郎に寄りかかると、笑ったのがわかって演奏が終わったら甘いキスを送ろうと心に決めた。

ー幕ー

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