コンクールも残すところ最終セレクションとなったある日、教室に忘れた課題を取りに来た律の前に一人の生徒の後姿が見えた。 淡い青の髪が印象的でこの学校のトップといっても過言ではないヴァイオリン奏者であり、の恋人でもある月森蓮に間違いなかった。 だが、この時間は練習室にいるものとばかり思っていたが、教室にいるのは何故なのだろう。 が不思議に思いながら教室の扉を開けると、凛とした背中を見せていた月森がこちらを振り返って少し驚いたような顔をした。 「君は帰ったんじゃなかったのか?」 「いや、課題が終わらなくて金やんに言って音楽室借りてやってるんだ。忘れ物取りに来たんだけど、月森は?」 「練習室が混んでいてすぐには取れなかったから音楽室を貸してくれるといったんだが、鍵が見つからないらしくてな。そうか、君に貸してたのを忘れていたという事か」 金澤先生らしいと苦い笑みを浮かべて席を立つと、鞄に教材を入れて帰り支度をする月森を見て思わず口を開いた。 「音楽室使わないか?俺の課題は今日でなくても構わないから」 ちゃりと音楽室の鍵を見せれば、少し考えた月森の言葉は少し意外なものだった。 「本当にいいのか?」 「嫌なら帰っても構わないが」 二人で音楽室を使おうと言われた時には嬉しくて、二つ返事をしてしまったがそれでは月森の練習の邪魔にならないかと心配になってきた。 だが結局、ピアノを選んだにとって学校のピアノが使える貴重な時間だったし、こうして一緒にいられるのが嬉しくては月森と一緒に音楽室へと向かった。 最初は律の課題を終わらせてから月森が練習すると言われた時には顔が引き攣るくらい嫌だったが、言葉は厳しいが言ってることは正しく説得力もあるので月森の助言ですぐに終わらせることが出来た。 その間に月森はの指摘をしながら楽譜を見直したりしていたが、いつの間にかの指が奏でる旋律に集中してしまっている自分がいる。 同じコンクールにもピアノで出場している土浦がいるが、同じピアノでも音が全然違うのは興味深い。 自信に溢れて曲を自分の物にしていく土浦とは違い、少し危なっかしい指で奏でるは繊細さの中にキラキラと輝く優しさが見えてこのまま弾いていて欲しいと願ってしまう。 ほっと息をついてがピアノを弾き終わって指を離すが、月森は何も言わずにパラパラと手元の本が風に吹かれてページが勝手に捲られている。 いつも澄んだ青い瞳は瞼の裏に隠されて、こんなに無防備に寝ている月森は見たことがなかった。 さらさらと流れる青い髪に手を伸ばせばふと閉じていた瞼が上がって、真っ直ぐに視線がこちらを向いていて思わず伸ばした右手が不自然なままで動きを止めてしまった。 触られるのがあまり慣れていない月森だったから控えていたのに、この状況をどうやって誤魔化そうかと必死で頭を回転させる。 「君は髪が好きなのか?」 「は?あ、いや……」 思いもよらない質問に小首を傾げると、本を閉じて真っ直ぐにの顔を見てきたが明らかな不機嫌な顔が広がっていてやはり嫌なのだろうかと伸ばした右手を引っ込める。 「良く志水君や冬海さんの頭を撫でているだろう?」 「いや、あれと微妙に意味合いが違うんだけど」 確かに後輩である志水や冬海は背が低く二人とも行動や言動が可愛くて、良く子供にするように頭を撫でることもあった。 だが、これとそれは別物で、月森に触れていたいと思うのは恋愛の好きから来ているもので、こんな感情であの二人に触れてはいない。 「何が違うんだ?」 心底不思議そうに尋ねる月森にどうやって伝えるべきかとも思ったが、上手く伝えられる自信もないし妙に人の心に疎い月森に伝わらないかもしれない。 嫌がられたら離そうと心に決めてそっと細長い指先に手を伸ばしてきゅっと握ると、月森の顔が赤くなってそっと手を握り返される。 「手を繋ぎたいと思うのも近くにいたいと思うのも、月森だからだよ。他の人と同じ扱いなんて出来ないしするつもりも無いから」 「君は、良くそういうことが言えるな」 はぁ、と溜息を一つ零して月森が瞳を閉じて瞼を開いたときには強い瞳が宿っていて、この瞳に弱くてコンクールや何かに必死に取り組む月森の姿から逸らせないのだと気付かれる。 不意に月森の左手がの顎に触れて、気付いた時には目の前に端正な月森の顔と睫が視界に広がっていた。 唇には温かい感触があって、そこでようやくキスされたのだと気付いて、緊張しながらも瞳を閉じた。 「ん……」 ふっと離れた感触に目を開ければ恥ずかしさからか視線を逸らす月森がいて、こんな可愛いのは反則だろうと思いながらも手を離すことはしない。 「いつも俺からしてるけど、月森もしたかった?」 「だからしたに決まってるだろう。本当に君といると調子が狂う」 貶されてるのかとも思うがあれほどの完璧主義者で他者にペースを狂わせられるのが嫌いな月森が、離そうとしない指先が雄弁に語っているようで思わず月森を抱きしめた。 「っ、教室だぞ」 「少しだけだから」 非難する月森に囁けば仕方ない奴だといわんばかりに嘆息が漏れて、それからそっと背中に手が回されて制服を握られる。 月森の肩口に頭を乗せたまま、はそっと月森の体温を感じた。 ー幕ー |