優雅なフルートの音色に、軽やかなピアノのテンポ。 誰もがその音の美しさに、思わず足を止める。 練習室は防音がされているが、今の時期は室内も暑く少し窓が開かれている。 そのため、少しだけ音が漏れているのだ。 だが、緩やかな曲調は微妙にテンポが変わった。 音楽を知る者なら、この曲はこんなだったかな、と首を傾げるが、詳しくない者ならこんな変化に富んだ曲なのか、納得するほど違和感なく、曲が変わって行く。 演奏時間が約十分ほどの曲が五分ほどできっちり最後まで演奏が終わった。 「……」 笑顔は花が咲くような艶やかだが、恐ろしいほどに冷えている。 柚木様と崇める少女たちが見たら、そんな声も素敵!という反応になるのだろうか、とは他人事のように伸びをした。 「まぁ良いじゃない? この調子でいけば」 「良くないだろう? 途中で曲を変えるな、と言ってるよね」 はいはい、と気のない返事をしながら、は窓際へ移動する。 音楽科の異端児とも呼ばれる は、ピアノの技術はコンクール参加者に引けを取らぬほど高い。 教師も最初こそ、コンクール参加者として名をあげていたほどだ。 だが、問題の本人が「コンクールに興味がない」というのを理由に、申し入れをあっさりと一蹴したのだ。 学内コンクールとはいえ、対外的にもアピール要素となるだけに学校側としても技術の高い生徒を出して、アピールする為に何度かねばったらしいが、一向に意志を曲げる気がなく教師が根負けしたと言う。 きちんと基礎が出来ている為に、クラシックからJ−POP、自己流のアレンジなど様々なジャンルを弾きこなす、クラシックが基本の音楽科としては稀有な存在だ。 だが、彼の凄いところは、合奏にあった。 一緒に演奏すると人や曲に合わせて、うまく曲をまとめることが出来る。 伴奏をさせれば、ここを聞かせたいと言うところで控えめに音を落とし、苦手な所などは上手くサポートしてくれる。 演奏者癖や曲に対する考え方を理解し、こちらが望む演奏をしてくれるので、彼と合奏をすると非常に心地よく演奏が出来るのだ。 それは聞き手も同じようで、普通科にもファンが多いと言う。 だが唯一の困った癖は、直ぐに飽きることだった。 もちろん、真剣な時にはきちんとした演奏をするが、長い時間の集中力が続かないらしく、こうして強制的に曲が終わらせることも多々ある。 そんな中でも、きちんとサポートはしているし、気づいたらうまくこちらのテンポを自分のテンポに自然と合わせてしまうのが恐ろしい。 「だってさ、根詰めたところで仕方ないだろう。それに作ってない『素』の音の方が聴いてて楽しい」 「……お前ね」 学校内で素の柚木を知っている者は少ない。 火原にですら、こういった普段とは違う自分の姿を見せてはいない。 知っているのは、他に普通科の日野香穂子ぐらいである。 本当は、普段の自分のままで居たのだが、第1セレクションの本番前の最後の練習の時にかなりわざとらしくテンポと曲調を変えられ、「本番前に遊ぶな」と思わず素を出してしまった。 その時のは、驚いた様子だったが、その驚きは普段と違う柚木の音に対してだった。 「なんだ、素の音の方がずっと綺麗じゃん」 あっけらかんと言われて、物凄い脱力感に襲われたのは今でも覚えている。 その後は、真剣に取り組む際にはしっかりと伴奏をこなし、今のように根詰め過ぎた際には適度な遊びでこちらを翻弄し、気を抜かせる。 そう言う意味では、良く出来たパートナーだ。 素の音というのがどういう大人の、自分では判断が付かないが、に言わせると違うテンポに負けてなるものかとこちらが本気を出した時の音が一番いい音らしい。 「次の第3セレクションが楽しみだなぁ」 「そんなに楽しみかい?」 最初こそ、興味がないと一蹴したというのに、ここ最近は非常に楽しそうにしている。 「ん? 音が変化していくのを傍で聞くのは、面白いだろ」 「いつも、音って言うけど、そんなに変わるかな」 言えば、は変化ぐらいあるさと笑った。 「ヴァイオリンの二人組も第1セレクションよりも変化してるし、ピアノの彼は第2からだけどちらっとこの前聞いた音は恐らく変わってるな……あとは火原なんかはかなり浮き沈みが激しい分毎回音が代わるし」 一年生組はもう少しで変わるころ合いだと言う。 「それに、お前も第1よりはかなり良い音になった」 自信たっぷりに言うの言葉に、想い当たる節はなくはない。 「そう、それは楽しみだね……さて、もう一曲やろうか」 「はいはい、お相手致しましょう」 今度は調子を合わせながら、互いの音を聞きながら音を紡いで行く。 音の変化はまだ解らないが、一つ言えるのはこの演奏が一番心地よいという事だった。 ー幕ー |