激しい水音が響いて思わず目を開けると、すぐ近くの格子越しに黒く立ち込めた雨雲と激しく降り続く雨が見えた。 どうやらこの部屋の主は外が大雨だというのに、窓を閉めずに音を聞いていたらしい。 柔らかい灯かりを放つ燭台に照された横顔は、同じ男であるというのに独特な色香を纏っていた。 土方は声をかけるのも忘れて、目の前の青年に暫し見入っていた。 書き物をしていたのか文机に向かっていた身体が土方に気付いて前を向くと、横顔しか見えなかったのが柔らかい笑みに変わり暗い室内を明るく照らしている気がした。 「起きたか?」 「……あぁ、すまねぇな。迷惑かけちまって」 気心知れた仲間と呑みに来て楽しかったのと久しぶりに島原に来たせいもあって、あまり酒が得意ではない土方も今日ばかりは杯が空になるのが早かったように思う。 一緒に来たはずの新八や原田達の姿は見えず、いるのは藍色の着流しに身を包んだ青年が一人だけ。 揚屋の番頭で名をと言う。 不意に身を起こすと羽織がばさりと床に音を立てて落ちたのに気づいた。 こういう気配りが出来るとは流石だと思いながら、羽織を掴むと仄かに甘い匂いが鼻をくすぐった。 香など焚くようには見えなかったが、と思っていると土方の些細な表情に気づいたらしくは土方の近くに歩み寄った。 「すまない、舞妓達の世話をしているとどうしても移り香がして」 はそう苦笑しながら漏らしたが、さほど嫌な匂いだと思わなかったのに少し驚いた。 の香りだと言われれば素直に納得したかもしれない、儚げで少し甘い匂い。 「嫌な匂いなんて言っちゃいねぇよ……」 この気持ちをなんと言えばいいのか解らず言い淀んでいると、は笑みを浮かべてそっと艶やかな髪を撫でて土方の頭を抱き寄せた。 「なんだよ」 「別に。嫌なら振りほどけばいいだけだ。簡単だろう?歳なら」 そう言えば土方は少し悲しそうな笑みを浮かべ、そのまま深い紫暗の瞳を隠すように目を閉じた。 背負っている物が大き過ぎて、いつか潰されてしまうのではないかと心配になる。 もちろん目の前の男がそんなに柔ではないのも知っているし、わかっているつもりだ。 それでも土方はこの京で出逢えたかけがえのない存在で、ちらりと整った顔立ちを横目で盗み見た。 「」 「な……」 何と続くはずだった言葉は土方の口腔に消えて、代わりに温かくて深い口付けを与えられる。 そのままゆっくりと押し倒されて見上げる先には、目元をほんのり赤くした土方が顔を背けていてはその矛盾が土方らしいと笑みを浮かべて首に手を回して引き寄せる。 土方の長い髪を結んでいる紐に手をのばすと、嫌がる素振りもなくしたいようにさせてくれる。 しゅるりとほどかれた紐で土方の手首を結ぶと、それを見た土方はもう片方の端をの手首に巻き付けた。 「このままお前と俺を繋いでおけりゃいいんだがな」 の手首を掴んで恭しく口付けをすると、土方はちらりと目を細めてこちらを見つめてくる。 島原の女性達が恋焦がれる土方とこうして一緒にいられる時間は限られていて、も仕事があるし遊びに来るとき以外は巡察で他の隊士を率いている土方を見るだけだった。 新撰組と言えば知らぬものはいないというほど恐れられ、市井の人々は恐怖に顔を引き攣らせ浪士達は逃げ出す者もいる。 だけは新撰組の土方と知っても態度を変える事もせず、ずっと近くにいてくれて静かに話を聞いてくれる。もちろん隊士ではないに話せる事は限られてくるが、他愛のない話でさえもといれば楽しく感じる。 「歳、今日は帰らないよな?」 「当たり前だろう。まさか歩いて帰れなんて言うんじゃねぇだろうな」 「俺もそこまで鬼じゃない。……たまには一緒に眠りにつきたいと思っただけだ」 苦笑しながらそう漏らせば嬉しそうに笑っている土方がいて、頬が赤くなるのを感じながら布団を一組敷いて枕を二つ並べた。 「これでいいか?それとも隣の客間から布団もって来ようか?」 「これで十分だろ。来いよ」 土方は布団に横たわりながら自分の隣をぽんぽんと叩いてを促し、が隣に腰を下ろせばそのまま抱きしめられる。 「歳?」 「今日くらいはこのままで、いいだろ?」 「あぁ」 今宵は雨。誰も見咎めやしないし、音は全て雨が連れ去ってくれる。 蝋燭の灯りはまもなく消され、二人は暗闇の中でお互いの体温を感じていた。 ー幕ー |