淡い春と君の心

 だんだんと肌寒くなってきて、もう季節は冬へと移り変わっているのが身に染みるように感じる。
 土方は手にした書面を文机へと置いてから障子を開け廊下へと踏み出したが、外気の冷たさを痛いとさえ感じてしまい足を竦ませて立ち止まった。こんなに寒くなって、は風邪をひいたり体調を崩したりしてないだろうかと心配になる。
 島原の揚屋で番頭をしている彼と恋仲になって暫く経つが、文を書き合う訳でもなくまめに連絡を取る事も出来ずにいるのが歯がゆかった。
 新撰組の副長である自分が表だってと連絡をとるのは、不逞浪士達の格好の的になりかねない事もあって自ら禁じていた。時折原田が島原に行く時にさりげなく様子を聞いてはいるが、連れ去りたい衝動に駆られるのは気のせいだと誤魔化すしかなかった。
 ふとそんな事を思って白い息を吐きながら庭を眺めていると、斎藤が足早にこちらに向かって来るのが見えて眉間に皺を寄せた。どうもいい知らせではないらしい事は斎藤の顔からもわかり、土方は敢えて静かに声をかけた。
「どうした、斎藤。何かあったのか」
 確か今日の巡察は一番隊と三番隊つまり沖田と斎藤の隊だったなと思い返すと、相変わらずの落ち着いた口調で斎藤は口を開いた。
「副長、報告させて頂きたい事があります。部屋に入っても宜しいですか」
 身体を冷やしてはいけないと土方の体調を気遣ってか、もしくは人には聞かせたくない話のどちらかと思ったが斎藤の事だから両方だろうとも思う。
「入れ」
 障子を開けて室内に招き入れると、斎藤は折り目正しく正座をして土方をまっすぐ見つめた。
「一刻ほど前、大通りで尊穣派を名乗る浪士が押し借りを働きました。我々の到着が早く未遂に終わりましたが、 その場に居合わせた男が軽傷を負いました。現在総司が単独での行動か仲間がいるのか調べている最中です」
「そうか、ご苦労だったな。だがお前がそんな顔するって事は、まだ話は終わっちゃいねぇだろ」
 報告通りであれば土方の耳に入れるのは当然だとしても、それほど急いでくる必要もない。そう土方が言えば斎藤は少し嬉しそうに笑みを浮かべて、さすが副長ですと賛辞を言ってまた顔を引き締めた。
 捕まえた不逞浪士が長州やらと絡んでいたのか、もしくはと思っていると斎藤は思いもよらない名を口にした。
「副長は島原の番頭をしているという者をご存知ですか」
「あぁ、それが……まさかその軽傷を負った男というのは」
 そこまで言われれば土方も察しがつき、巻き込まれたのがだと気づいて血の気がひく思いをしたが先程斎藤が軽傷だと言っていた事を思い出した。
 土方がそうだったよなと念を押すように斎藤を見れば、彼は頷いて小さな紙を土方に差し出した。
「彼から副長にと」
 土方が目を通している間斎藤は自分の役目は終わったとばかりに立ち上がり、ちらりと土方を見つめて静かに口を開いた。
「彼は今松本先生に見て頂いているかと。駿河屋にいるはずです」
「すまねぇな。総司に言っとけ、帰ってからは俺がやる」
 土方は短い礼を言うが否や先程の落ち着いた態度とは反対に、斎藤を部屋に残し一人屯所を飛び出して行った。
「文の意味はなかったな、
 呟きは誰の耳にも届く事はなかったが、斎藤の顔は晴れやかな笑みが浮かんでいた。
 駿河屋とは和紙や句集など幅広く取り扱う店で、きっとは揚屋の用事で行ったのだろうと想像がつく。
 大通りを走ると駿河屋という暖簾が目に入り、慌てて飛び込むと店先に腰を下ろしている松本良順が目に入った。良順は信用できる腕の良い医者で、度々屯所に来てもらったこともあるが今回も斎藤辺りが呼んでくれたのだろう。
「おぉ、土方くん。久しぶりだな」
「あ、あぁ」
 てっきりも一緒にいるものだと思っていたが、薬箱を片付けている良順一人が腰掛けておりの姿が見えない。
 行き違いかと思いの様子を聞こうとしたその時、奥からお盆を手にしたが顔を覗かせて、土方を見ると少し驚いたように目を見張ったがすぐに嬉しそうに笑顔を見せた。
「歳、斎藤から手紙受け取らなかったのか?それともここの主人に用事か?」
 は良順の前に湯飲みを置いてから不思議そうに土方を見つめたが、土方が見る限りその腕や身体には何処も怪我をしたように見えない。
「怪我をしたのは店主か……」
 項垂れるように呟いた土方には訳がわからないようだったが、良順は察しがついたらしくしきりに頷いて薬箱を手に立ち上がった。
「暫くは腕が使いづらいだろうが二、三週間もすれば問題はいらんよ」
「そうか」
 土方がそう苦笑まじりに呟けば嬉しそうに笑っている良順がいて、思わず土方が眉間に皺を寄せて睨むように見つめると彼はぽんと土方の肩を叩いた。
「良かったな、土方くん。君は思われとるよ」
「っ……」
 どうも斎藤といい良順といい、変に事情を知っている世話焼きが増えた気がする。
 良順はひらひらと手を振って帰ってしまい、店内にはと土方が残された。
「きっと歳は事後処理に来るだろうから、邪魔しない様にその前に帰るつもりだった。だから怪我はない、心配するなと書いたんだけど」
「見た」
 土方がどかりと店先に座ると、はそっと土方を抱き寄せてその綺麗な漆黒の長い髪に口付ける。
「歳」
「……なんだよ」
「ありがとう、心配してくれたんだよな」
 わかってるならあまり心配をかけるなと言いたいところだったが、土方は苦笑を漏らしての指先に軽く唇を寄せて口付けをする。
「もういい。俺がお前に会いに行けばいい話だ。難しくもなんともねぇし、心配するだけなんてそもそも俺の柄じゃねぇ」
「何?歳、通うのか」
 島原遊びなんてしそうになくて酒も強くないのにと言外ににおわせて言うと、土方は眉間に皺を寄せてを睨みつけると勢いよく立ち上がる。
「惚れたやつに会いに行くだけだ、理由なんざ幾らだって後付けしてやるさ。それに酒も嫌いじゃねぇ」
「じゃあ、酌くらいするよ」
 そう言ってが笑えば土方の顔にも穏やかな笑みが浮かんで、思わず土方に見とれてしまった。
 の勤めている置屋でも芸妓達から人気があるのも頷けるほどの美しい男。その土方が男であり番頭であるに会いに来ていると知ったら、きっと非難轟々は間違いないと思う。
「じゃあな」
「あぁ、歳」
 同じ京で生きているのだから、何も難しい事はない。
 次に会う約束をした土方の背をは焼き付けるように見つめた。

ー幕ー

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