春とは人を狂わせる季節だと誰かが言っていた気がして、思い出そうとしたけれど結局浮かばずにわからなくてもどうでもいいことだと思う。 新撰組の中で隊長格のみが与えられる各々の部屋というものとは縁が遠く、平隊士であるは皆と大部屋で雑魚寝をしている。起こさないように抜け出すのは大したことでもなく、きっとまだ皆は夢の中にいるのだろうと思うと少し得をした気分になる。 花を愛でるにはまだ季節は早いと知りながら、誰もいない庭に面した縁側へと足を向けた。 着流しを軽く整えただけの身体に朝の寒さは堪えるが、清々しい気持ちになれて大きく息を吸い込んだ。 庭を目の前にしてみれば、予想に反して薄紅の色をした梅の木が一本静かに郁を迎えてくれる。 桜は好きだが梅も小さい花が可愛く、仄かな香りに引き寄せられるように庭に降りて足を運んだ。 郁より少し高い梅が風に揺れている様を見ていると、ある人が思い浮かんで人知れず笑みが浮かぶ。 青い空と赤く色づいている梅を見ながら、今頃あの人も眠りについているのかと思うと傍にいて眠りを妨げるものから守りたいと思う気持ちが芽生えた。 「何やってんだよ」 どのくらいそうしていただろうか、梅を見つめているといきなり羽織をかけられ強い力で後ろから抱きしめられた。 よろけそうになれば良く知った力強い腕が抱き止めてくれて、は思わず笑みを浮かべた。 「てめぇ、あれだけ薄着で出るなと言ってるのがわからねぇのか」 不機嫌そうな声なのが土方らしくて、そっと大きな手に手を重ねるとぎゅっと力強く包まれて温かさが伝わる。 そっと後ろを振り返ろうとすれば、肩口に微かに重みを感じて土方の艶やかな髪がさらりと前へ流れたのが視界に入った。 「土方さん?」 「なんだ」 呼吸や声が直接感じられて嬉しくなる反面顔が見られないのが少し惜しくかったが、土方がそうしていたいのならさせたままにしておこうと思う。 「珍しいですよね、土方さんがそうやって俺に寄りかかるのは」 「そうだったか?」 「はい」 くすりと微笑めばそっと顎によりも少し太い指がかかり、そっと唇に息がかかるほど近くに土方の顔があった。 綺麗な紫の瞳に間近で見つめられて、思わず息を呑むと柔らかく微笑まれてまた胸が高鳴る。 同じ男なのにどうしてこんな気持ちになるのかと悩んだこともあったが、それでも土方が瞳に映るたびにとめることなど出来なかった。 総司にはの気持ちが気付かれているらしく、苦笑されて頭を撫でられてしまい恥ずかしいやら居た堪れない。 「目、閉じろ」 「……はい」 閉じる寸前の熱を帯びた土方の瞳が綺麗と思うと同時に、それだけ思われているとわかって身体がびくりと震える。 これからきっと戦が始まり、こんなに穏やかな時間が訪れることはなくなってしまうかもしれない。 この人とこうしていられるのも、限られたごく僅かな時間かもしれない、そう思ったらの瞳から一粒の涙がこぼれた。 「いいから、お前は何も心配いらねぇよ。いざとなったらお前だけは逃がしてやるから」 「怖くはありません。ただ、貴方が離れていくのが……」 土方さんが離れていくのが怖いと言いかけたが、もう良いというようにの唇が強引だが甘い唇に塞がれてそっと手を背に回した。土方の広い背をそっと抱きしめれば、きつくなった抱擁と、くちゅりと音を立てて深くなる口付けにくらくらと眩暈がする。 そっと瞳をあければいつも郁を見つめる瞳が閉じられていて、もそっと酔いしれるように瞳を閉じた。 一隊士であると副長である土方は立場も違えば隊も違い、同じ場所で死ぬことはもしかしたら出来ないかもしれない。 それでも自分は出来る限り足掻いて生きて、この人を見つけようとそう心に決めた。 「逃がしてしまっては局中法度に背いて切腹ですよ」 「戦の混乱に乗じれば出来なくもねぇよ」 「わかりました。じゃあ、そのときは一緒に逃げてください」 ぎゅっと抱きしめればお前な、と呆れた声が聞こえてきたがそればかりは譲れない。 きっとこの人は他の隊士を見捨てて逃げることなど出来ないだろうから、自分も逃げずに一緒に立ち向かおうとそっと口付けを交わした。 ー幕ー |