広い屋敷は解放感があるが、どうにも重苦しい。 両親が死んで一人残された自分は鬼の子であるがため、西国で強い力を持つ風間家に引き取られ、居場所を与えられた。 今では少なくなってしまった鬼の中でも、は風間家ほどでないにせよ純血の鬼であるがために、大切にされている。 戦乱の世ではあるが食うにも住む場所にも困らず、何不自由なく暮らしている。 風間家当主の千景は長州と手を組んで京へ行っているし、部下である不知火や天霧も普段は屋敷にいない。 ただ世話になるだけでは申し訳ないと何か出来る事はないかと思うが、まだ十にも満たない童が出来る事など限られている。 強い鬼の力を持ってはいても、人間の大人を相手にする事は出来ないし、逆に言えば何もしていない方がよほど迷惑にならない。 ここにきてからは、屋敷の掃除などを手伝ったりする以外は、部屋で大人しく書物を読んで過ごしていた。 身の回りの世話をしてくれる侍女たちにも、良く外で遊ぶようには言われているが、一人で遊べる事など大して多いわけでもないし、そもそもそ自分ぐらいの子が普段どういった遊びをしているのか良く知らない。 大人から見ると随分と可愛げのない童に見えるのだろう。そう思うと、何となく申し訳ない気持ちになる。 ふっと溜息をついて顔を上げると、もう夜も更けている事に気づく。 夕餉を食べてから随分と時間も経ってしまったようだ。 蜀台の火を消して布団にもぐりこみ、はそっと目を閉じた。 不意に静かな屋敷の空気がざわつき、はふと眼を覚ます。 まだ辺りも暗いことから、恐らく眠ってからそんなに時間も経っていないはずだ。 そっと廊下に出て行くとやはり屋敷の雰囲気が違う。 恐らく主が帰って来たのだろう。 こんな遅くに帰って来たのだから疲れているだろう。挨拶に行くかこのまま寝るか、しばし迷っていると、廊下の暗がりに背の高い人影が見えた。 「お帰りなさい、天霧様」 そっと呼びかけると、ゆっくりと人影がこちらに歩み寄って来る。 「起こしてしまったか」 申し訳なさそうな様子の天霧にはゆるりと首を振った。 「寝付いてから時間が経っていなかったのです。風間様もお戻りですか?」 「あぁ、が起きていたのなら丁度良い。来てくれるか」 頷くとひょいと抱え上げられ、そのまま暗い廊下を進んで千景の部屋を向かう。 部屋の前で降ろされ、天霧とはそのまま別れる。 部屋に入らないのかと聞いたが、邪魔をすると怖いとの返事が返って来た。 「風間様、です」 そっと声を掛けると入るよう声が返って来る。 ゆっくりと障子を開ければ、久々に見る千景の姿があった。 こちらを見つめる千景は、目元に柔らかな笑みを浮かべた。 「お前の顔を見るのも随分久しぶりだな……遅くに済まなかったな」 「いえ、風間様こそお疲れではないですか?」 近くに寄るように手招きされ、は千景の目の前に腰を下ろす。 「京は荒れていると聞きましたが、お怪我はなさいませんでしたか?」 鬼の中でも強い力を持つ千景が人間によって傷を付けられる事はないし、例えあっても傷など直ぐに塞がってしまう。 愚問であると自分でも思ったが、やはり鬼とはいえ痛覚はあるし血も流れる。決して不死身の身ではない事は、目の前で死んだ両親によってまざまざと事実を見せ付けられている。 それを知ってか特に怒る事もなく、千景は優しくの体を引き寄せた。 そのまま、膝の上に抱え上げられる。 何時もは見上げるだけの秀麗な顔が近づき、赤い瞳が柔らかく細められる。 「見ての通り心配する事はない……それで、は何時になれば、名前で呼んでくれるのだろうな」 客人ではなく、同じ一族であり家族なのだから、と千景は名前で呼ぶようにと言われているのだが、なかなかは恐れ多くて呼べずにいる。 そもそもよりも長く一緒にいる天霧も、千景のことを名前で呼んでいるわけではない。 以前もそう抗議したことがあるが、千景は相変わらず納得してはいないらしい。 今もこうしてじっと目を見つめられると、呼びにくいからと無碍にも出来ず、は迷いながらも声をだす。 「えぇ……と……千景様」 自分的には及第点だと思うのだが、千景はふっと小さくため息をついた。 「まぁそれでも良い」 機嫌を損ねる事もなく、もほっと息を付く。 「さびしい思いをさせて悪いな。もう少しで、お前が気に病まず外を歩ける日が来る」 千景は鬼が統べる国を作ろうとしている。 鬼の歴史は人に翻弄され続け、力を持つが故に恐れられ利用され続けてきたのだ。 は目の前で親を殺されただけに、人は苦手だ。 だが、人と言う物が全て悪だと思った事はない。 争い事はもう嫌だ。 できればこのまま、鬼の仲間と一緒に過ごせたら幸せだが、もう時代は回り始めている。 の耳にも千景が組みする長州と幕府が、もう引くに引けない戦争にまで発展している。 「不安そうな顔をするな」 軽く音を立てて、口付けが落とされる。 「、このままここで寝てもらえるか」 言われて、は頷く。 灯りを消し、一枚の布団に二人で横になると、千景の腕にすっぽりと体が納まる。 久々に一人で寝なくて済む嬉しさがあるが、これからの事を思うと不安になる。 千景は焦っているのかもしれない。 鬼の数が減り、どんどん海の向こうの国の文化が入ってきて、この国が変わってしまう事を。 「千景様、ゆっくりお休みください」 呼びかけると、ゆっくりと頭を撫でられた。 「もな」 二人で瞼を閉じれば、世界は恐ろしく静かだ。 この静寂が少しでも長く続くよう、は千景の腕の中で祈らずには居られなかった。 ー幕ー |