鬼とマガイモノ

「これが噂に聞く『鬼』ねぇ……だけど人でも鬼でもない『マガイモノ』だな」
 酷く軽い調子で、この場にそぐわない高い笑い声。
「何だお前は」
 土方は男を射殺すような視線で睨みつける。
 だが、飄々とした男は気にした風もなく、辺りに散らばる肉片や人の体を、下駄の先で退かしならこちらに歩み寄って来た。
「ここは水捌けが悪いからもっと簡単に斬って欲しかったな。折角の一張羅に血が付くのって嫌だし」
 声は男だと言うのに、纏う着物は遊女のような派手な文様。
 髪は流しっぱなしで、夜目にも美しい金色と赤い瞳。

 満月を背負ったその姿はまさに鬼だった。

「はじめまして、新選組の『鬼』さん」
 優雅に一礼されたものの、こちらには何の感慨も浮かばず、降ろしていた刀を構える。
「余程斬られてぇらしいな」
「短気は損気。別にやり合う気はないよ。千景みたいに人間を使って遊ぶ気はないし」
 にいっと笑った口元から、尖った犬歯が見える。
「人間に興味ないんだけどさ、『マガイモノ』は気になるんだよね」
 土方が答えないでいると、何が面白いのか鬼は楽しげに笑った。
 ついっと流れるような所作であっという間に目の前に鬼が立ち、背に冷や汗が流れた。
 目で追っていたはずなのに特別素早い動きでもなかったというのに、あっさりと間合いに踏み込まれた。
「こんな物騒な物はさ、仕舞っておいてよ。やり合う気はないって」
 構えたままの刀に、鬼は白い指を滑らせる。
 ばっと距離を取り、刀を鞘に納めると、鬼は何度か瞬きを繰り返す。
「あぁ、刀を触られるのは嫌だったかな? まぁ納めてくれたのなら何より」
「別に付き合ってやるとは言ってねぇぞ」
 土方の言葉にも動じず鬼は再び笑った。
「付き合う気がないならさ、刀を鞘に納めた時点で立ち去っても良かったのにねぇ。それをしなかったのは付き合ってくれるって意味でしょ? ならさ、こんな血なまぐさい所にいないで別の所に行こうよ」
 こちらの意見も聞かずにくるりと背を向けて歩きだした鬼に、土方は溜息をついた。
 後ろから斬られるなどみじんも思っていないか、もしくはそうされた所で避ける自信があると言う事だろう。
 なんにせよ、まんまと鬼の口車に乗せられたのは事実であり、このまま帰っても良いはずなのにやはり足は鬼の背を追い始める。
 毒食らわば皿まで、と自分に言い聞かせ、土方は少しだけ足を速めた。

* * * * *

「で、何で此処なんだ」
「酒は飲めるし、邪魔は入らないし、何より俺の懐が温かくなる!」
 一石二鳥ならぬ三鳥だと楽しげに笑いながら、大仰に鬼は手を広げた。
 豪奢な調度品に囲まれたこの部屋は、この鬼の根城であり、いわゆる陰間茶屋である。
 島原の芸妓よりも高額で、とても気軽に遊びに行くような場所ではない。商人や武家など湯水のように金を扱える者でなければ、一夜で確実に破産する。
 ちなみに、この鬼はこの店の中でも相当の地位にあるらしく、料金は一刻(*約二時間)で三分(*一分=約1万2千5百円)だと言う。
 今回はまけてやると言われたがそれでも、一分しっかりと取られた。納得がいかない。
 話をしたいだのなんだのはこじつけで、ただ単に金をぼったくりたかっただけではないかと思わなくはないが、乗せられたのは確かに自分の落ち度なので黙って置く。
「にしても、『鬼』が何で陰間なんてしてんだよ」
「情報を仕入れるには都合がいいからさ。それに楽して稼げる」
 ふふん、楽しげに鬼は笑う。
 一日買い切りだと九両(*一両=約5万円)も稼ぐと言うのだから恐ろしい。
 道理で、初めて見る土方に対しても店の人間がやたら丁寧な扱いだった。恐らくこの鬼には店の人間で敵う物がいないのだろう。
「あぁ、申し遅れたが、俺の名前は。以後お見知りおきを」
 本名か源氏名か不明だが、それは案外どうでもよい事である。
「それで、何が狙いだ?」
「だから、敵対する気はないって。羅刹ってのが気になっただけで。噂に聞くよりも、土方さんは随分大人しいからさ、新選組はそんなもんなのか、それともあんただけがそんな感じなのか……それ興味を持っただけさ」
「薩摩や長州でも使おうって魂胆か?」
 ぎろりと睨むが、は緩く首を横に振る。
「いや、長州や薩摩は新選組の変若水なんかなくても、それよりも実用的なモノを既に作ってるさ」
 さらりともたらされた言葉に、土方は目を見開く。
「驚くような事でもないだろう? 薩摩や長州には風間達がいる。鬼の血をそのまま使った研究が出来る訳だし、何より制作者である雪村がいるからな」
 わざとらしくが一旦言葉を切る。
「俺の興味は、遥かに実用性に乏しい変若水を使ったあんたが、何故普通の隊士と同じように過ごしていられるかってことだ。まぁ、考えとしては恐らく精神的な物だとは思うが……」
 口ぶりからすると、どうにも何時もの土方の様子を知っているかのようだ。
 微妙に表情を変えた土方に、はうっそりと笑う。
「新選組の飼ってる羅刹隊に俺の手付きがいたんでね」
 血を分けてやる代わりに、新選組の動向を探っていたらしい。正確に言えば、新選組というよりは羅刹の行動に興味があっただけのようだが。
 まさか羅刹隊の様に自我がなくなっている連中の中に、間者が居るとは思わなかったが、純血の鬼の血を求めたならばあり得る話ではある。
 早々にこいつを斬ってからその羅刹も殺そうと思ったが、はひらひらと手を振った。

「安心しなよ。結構悪くない奴だったけど、先日ついに耐えきれなくなったみたいだったから俺が殺した」

 その言葉につい先日、不自然な死に方をした隊士がいたことを思い出す。
 西本願寺に近い路地で、一人の隊士が死んでいるのが発見された。
 羅刹隊に属する隊士で、直接土方とは面識がないが、どうにも奇妙な死に方だった。
 羅刹である男を殺すとなれば、相当争っただろうと考えられるが、その隊士は腹を一突きされており、首は皮一枚を残して綺麗に斬られていた。
 血で新選組の羽織が汚れている以外は特に服に乱れた所もなく、死に顔も随分と穏やかなのを覚えている。
 結局、血を求めて脱走した所を長州や薩摩の連中にやられたのだろう、という推測しかできなかった。
 それ以上調べるにも情報も少なかったし、調べようがなかったからだ。
 だが、の言葉からすると、恐らくあの隊士が間者として使われていたのだろう。
「てめぇ……」
 羅刹になったからと言って、同じ新選組の隊士だ。どんな奴かは解らないが使うだけ使って、使い捨てたような言い方が気に食わない。
 それでよくのこのこと出てきたものだ。
 今もそうだ。
 土方の傍らには刀があるが、相手は獲物すら持っていない。
 幾ら傷が治ると言っても、首を落とされれば流石に生きてはいないだろう。
 そんな危機感すらないと言うのだろうか。
「その件に関しては悪かったよ。だけどな、別に使い捨てたわけじゃないんだぜ? 俺は幕府にも長州にも薩摩にも鬼にも属していない。だから別に興味以外で誰かに情報を漏らすつもりはなかったし。それにあの隊士も相当羅刹の副作用と実験で苦しんでたからな、原因である鬼の血で少しだけも楽になるならと思って。ただの勝手な自己満足だ」
 ふと、軽い調子ではない、遠くを見つめる物憂げな表情に、土方は掴んだ刀を降ろす
「死んだ羅刹がやけにあんたを尊敬してたから、自我がなくなった奴でもそう思うほどの人間がどんなものか見てみたかったのさ。後は伝言頼まれたから」
 は崩していた格好をきちんと改めて、土方に向き直る。

「局中法度を守れず、申し訳ございませんでした」

 目を伏せ、紡ぎだされた言葉はの言葉だと言うのに、ふとあの隊士の顔が浮かぶ。
「死に方が切腹だったのはそのせいか」
「死ぬなら心の蔵を一突きのが楽だと思ったんだけどさ、切腹が良いって言うからさ。武士ってのは馬鹿だな」
 言葉だけなら侮辱とも取れるが、の表情はどこか物憂げだった。
 利用していたとしても、何がしか思うところがあったのだろう。
 切腹は通常武士でなくては許されぬ行為だ。
 農民の出が多い新選組は長州にでも捕まれば、切腹など認められないだろう。
 それでもこの鬼は、羅刹をマガイモノだと言いながらも、武士として切腹を介添しおまけにこうして死んだ者の伝言役までしている。
「ま、こうして直接会えて楽しかったな。まだまだ羅刹自体には興味あるし」
 先ほどの軽い口調に戻り、相変わらず隙がなく警戒心があるものの、嫌悪感も苛立ちもなくなっている事に気づく。
「気が済んだなら、羅刹隊をかどかわすなよ」
「羅刹は飼わないさ。暴走されると面倒だしな……それに飼わずともこれから客として来てくれるだろうし」
「誰が好き好んでこんなとこに来るか」
「勿体ないなぁ。観察方じゃ手に入らない情報も結構仕入れてるのにさ」
 にぃっとは艶やかな笑みを浮かべる。
 先ほど打って変わって姿勢を崩し、窓枠にしな垂れかかるその姿は、そこらの女よりもずっと美しく妖艶だ。
「高くつくんだろ?」
 そう言うと、きょとんと瞬いた後、は楽しげに笑う。
「なんだ、来てくれる気はあんの? なら、俺の時間と情報料含めてまけてあげるよ」
「幾ら取る気だ」
 試しに聞いてみると、目の前にしなやかな指が一本立てられる。
「一分か……それなら悪くねぇ」
「違うって、俺の代金が二分と情報料で二分。合わせて一刻一両」
 ぶっと噴き出すと、汚いと言わんばかりは距離を取る。
「増えてるだろ明らかに! しかも一刻かよ」
「一刻三分を二分にまけてやってるだろ。俺は自分を安売りしねーんだよ」
 人を殺した後だと言うに、やけにすっきりしている自分に苦笑する。
 鬼に調子を狂わされているが、何だかんだ言って久々に気を抜くことが出来たのも事実で、なんだか釈然としない。
 店を出てのいた二階の部屋を見上げると、窓に腰かけたがこちらに気づいてひらひらと手を振った。
 それに振り返す事はせずにそのまま背を向けて、夜の闇を歩き出した。

ー幕ー

簡単なお金計算表(幕末の貨幣価値 資料が正確かは不明です)

一両=約50000円
一分=約12500円
一両=四分なので一分は一両の四分の1です。
作中でのの金額 記録に寄る所の陰間茶屋の相場
一刻:三分(約37500円)
一日買い切り:九両(約45万)
一刻:一分(約12500円)
一日買い切り:三両(約15万)

は基本ぼったくり……というか格が違うので通常の三倍設定です。

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