まよいみち



しれば迷ひしなければ迷はぬ恋の道 豊玉


 堂々と掲げられた掛け軸には、流れるような美しい文字でそれが書かれている。
 そして、一輪差しには白い梅が生けられていた。
 あまりにも普通に飾られていたそれに、土方は最初に気づかなかった。
 やけに上機嫌で迎え入れたに対しては、若干の違和感を持っていたが、単に良い酒でも入ったのだろうと思っていた。今思えば、これのせいなのだとはっきり解る。

「おい、これはどうした」
 土方の若干低い苛立ちの声に、ようやく気付いたのが嬉しかったのか、の表情がぱっと明るくなった。
「ようやく気付いた? ま、気づかなかったらそれでも良かったんだけど」
 楽しくて仕方がない様子で話すに対して、土方の眉間には自然と眉間に皺が寄る。
 それもそのはず、この掛け軸の発句はまさしく土方自身が作った物である。
 ちなみに、豊玉というのは土方の俳号である。
 元々、兄が発句を読むのが趣味であったため、自分でも美しい情景などを残すために始めて、それなりに多くの句を呼んでいた。
 そして、良作と思う物を『豊玉発句集』と名付けて本にまとめたのだが、それを見た隊士達の反応を見るに、どうにも自分にはその才がないらしい。
 総司辺りには完全に笑われ、それ以外の人間には苦笑もしくは反応に困ったような表情を浮かべられ、それ以来自分で句をまとめつつ人に見せる事はしていなかった。
 当然ながら、には句を読み聞かせたこともないはずだが、一体どこで知ったと言うのだろうか。
 睨むようにじっと見ていると、は軽く手を振って見せた。
「島原でこの前、新選組の皆さまを持て成した時にさ、教えてくれたんだよ」
 そういえば、自分がいなかったが、随分酔っぱらって原田や永倉達が島原から帰って来た事があった。
 は人手が足りなくなると『』という名で、島原の揚げ屋で芸妓として荒稼ぎしている事があり、一度土方もその時に当たった事がある。
 として解った後には宴会を抜け出して、との艶のある時間を過ごして満足しつつも、散々後で関係を問い詰められた苦い思い出だ。
 あの後は誤魔化すのに非常に苦労した物だが、またその後に新選組の面々に当たったのだという。


 として座敷に登場したの事を、当然の如く皆は覚えていた。
 早速、前に聞けなかった土方との関係をあれこれ聞かれたらしいが、あしらいが巧いはのらりくらりとかわしていた。
 陰間だとばれる事はないだろうが、進んで話すほどの事でもない。第一、ある程度情報を与えぬ方が、謎めいた雰囲気で余計に客をのめり込ませることが出来る。
 あとは、色々憶測させて後で質問攻めにされる土方を想うと、黙って置く方が面白いと考えた。
 そうしているうちに、誰だかがふと土方の発句の話を始めた。
「そういや、さんは土方さんの趣味は知ってるか?」
 にやにやと楽しげな笑みと共に投げかけられた言葉に、酌をしながらは僅かに首を傾げて見せた。
「いいえ、土方さんはあまりそう言った話はしてくださらないので」
 興味があると言えば興味があるし、隊士たちも副長のこととはいえ重要機密でもないからか口が軽い。
「あ、そうなんだ〜知りたい? 知りたい?」
 聞いて欲しいと言わんばかりの言葉に、笑顔で頷いて見せる。
「えぇ、是非お聞きしたいですわ」
 の言葉を「待ってました」とばかりに、皆で土方の読む俳句をあれこれ披露してくれた。

梅の花 一輪咲いても 梅は梅

水の北山の南や 春の月

 酔った勢いもあってか句を詠んでは笑いが起こる。
「あらあら、そんなに笑っては可哀そうですわ」
 口元を袂で隠しながらもが言えば、ばしばしと畳を叩きながら藤堂が笑う。
「あのおっかない顔した土方さんの作だと思うとさー」
 多分、酒の性で余計笑い上戸になっているのだろう。
 流石に聞いていて気の毒になって来たが、言葉の節々にただ単に笑いの対象にしているのではなく、親しみなどが込められている。
 大半はまぁ酔っぱらっているのだが、ふと思うところがあったのか、一人の隊士が笑いを止めてもう一句教えてくれた。
 その句も決して巧いとはいえない句ではあるが。
「土方さんも、恋とか気にしてるんだって思うのがあったんだよ」



「そうして詠んでくれたのがこの句でね」
 ぎりぎりと拳を握り、後でシメてやると思っていたが、の言葉にふと拳を緩める。
「土方さんが迷うような恋もあって良かったなぁってさ」
 迷いというのは武士としてはあまり良くない事ではある。人として迷うのはある事だが、何故それが良かったのか解らずにいると、はふわりと目を細める。
「何時も眉間に皺を寄せて、刀を振るう土方さんに迷うほどの大切な相手がいることが嬉しいんでしょ? 何だかんだ貶しつつ、皆土方さんの事好きみたいだからね」
「良い話に持って行こうつってもそうはいかねぇぞ」
 言われて、はからからと笑った。
「引っかからないか。でも、羨ましいね。そんなに想われるどこかの姐さんが」
「お前は迷うほどの相手はいねぇのか」
 そう問いかけてから、はたと気づく。
 陰間というのは、一時の欲を満たすために存在する。
 そんな仕事をしていると言うのに、恋という物がそもそも出来るのだろうか。
 本気で身請けの話を出されて事がある、と言っていたがそちらにせよ、ここに居る限りは恋などとは無縁だ。
 眉間に皺を寄せた土方を見たは、どう思ったのかしばし悩むように上を見上げ、やがて笑った。

「俺は迷うより、迷わせたいね」

 あぁ、そうだ。
 こいつはそういう奴だった。
 こちらが心配するほど弱くもなければ、逆に見くびってはいけない。
「そういえば、何時まであれを飾って置く気だ」
 夜風によっては運ばれる梅の香りで、掛け軸の存在を思い出す。
「実は昨日の夜から飾ってるんだよ。割と客の評判も良いからそのまま飾っておこうかと思ってるんだ」
「俺の許可を取ってねぇのは癪だが……」
 評判がいいと言われて、気を良くしない人間はいない。
 それに、の店には富裕層が多く、それ故に知識人や風流な人間が多く訪れるのだ。今まで、散々からかわれていた句だが、そう言われると嬉しい物がある。
「あの文字は流れるようで美しい、あれほどの達人はなかなかいない。あと、梅と飾る器の色の具合が優美で、実に素晴らしいって」
 の言葉に土方は眉間に皺を寄せる。
「評判って……」
「やっぱり俺の字と、器の目利きは結構通用するもんだな。器と花は貰いモンだけど」
 土方は喉元まで出かかった言葉を飲み込み、代わりに深いため息をついた。

ー幕ー

Back