「今晩と明日一日、お前を買う」 行き成り入って来たと思ったら、開口一番そう言った土方に、は瞬きを繰り返す。 「はぁ……そりゃどうも……」 土方が黙ったきりなので、取り合えず口を開いて出てきたのはそんな言葉だった。 買われるのは構わない。 むしろ、時間買いよりも多くの金が入るし、他の客との調整を考えずに済む分楽ではある。 「今の所、客は来てねぇんだろ?」 「まぁ、見世開けたばかりだしね」 「なら、金は先に置いておく。明日の朝にまた来るから、今晩は寝ておけ。客取るなよ」 それだけ言ってぴしゃっと閉められた襖に、は慌てる。 「ちょっと……」 急いで閉められた襖を開けて廊下を見れば、さっさと階段を下りていく土方の後ろ姿が見える。 追いかけるのも面倒になり、部屋に残された袋を手に取る。 中身を見れば、買い切り分の金がたんまりと詰まっていた。 「なんなんだ……」 買われるのは良いが、今晩寝ておけと言うのはどういう事なのだろうか。 昼間ぐっすり寝て、夜仕事をするのが、陰間であり普段のの生活習慣である。 そして買い切りの客は夜にこの身を買って、昼間までの時間をここで過ごすのが大体の常だ。 困惑しつつも金は貰っているのだし、番頭を呼んで簡単に事情を説明する。 特に細かい事にはこだわらない番頭は、承知しましたとだけ言っての客は一切断ってくれる事になった。 まぁ、前払いで金は貰っているし、日頃も疲れもあるので寝られるのは有り難い。 何を考えて買い切ったのかは解らないが、は考えるのが面倒になり、そのまま横になった。 夜型の生活に慣れているだけに、今晩寝たとしても朝起きられるかは不安だが、その時には番頭が起こしてくれるだろう。 翌朝、ふと目覚めると辺りはまだ薄暗い。 そっと障子を開けて外を見れば、そろそろ夜が明ける時間帯だ。 起きられるか不安ではあったが、流石に昨日の昼から寝続けていれば、体も寝飽きたらしい。 「おはようございます」 外から声を掛けてきた番頭に、こちらも返事を返すと食事を盆の上に載せて入って来た。 常ならば、この時間に食べる食事が寝る前の食事となるが、今日は逆で何とも不思議な気分になる。 そして、食事と共に運ばれた見慣れぬ物には首を傾げた。 の視線に気づいた番頭は、丁寧にそれを差し出して来た。 「土方様よりお僅かりした物です。是非お召しになるようにと」 広げてみれば、特別高そうではないが、柔らかな藍色の着流しであった。 食事を取りながら、話を聞けば出かけるのに普段の格好――だらしなく着崩した女物の派手な文様の着物では人の目を引きすぎるから、とのことであったそうだ。 食事を取り終えて番頭が下がったところで、軽く身支度を整える。 とはいっても、どこに行くのかも解らないし、目的も解らない。 とりあえず着流しを纏い、あまり使い慣れない帯で締める。 普段背に流している髪は。どうしようか考えたが低めに紐で一つに束ねて、右肩から前に垂らしておく。 普段の格好よりは、大分普通の町人にはなった気がする。 そうしているうちに、しらしらと空が明るくなり、代わりに見世中が寝静まる。 番頭にはあらかじめ許可を取っている為、一人見世を抜けると外にはすでに土方が待っていた。 の姿を認めて、何を思ったか少し驚いたようだったが、直ぐに普段の表情に戻る。 「随分と見違えるな」 「そりゃどうも。で、どこに行くおつもりで?」 さっさと歩き出した土方の後を追いながら、はそう問いかける。 大体朝から出かける程遠いところなのか。 久々の昼の太陽の眩しさに、は目を細める。 夜に見るのは提灯の明かりのみで、こんなにも外は明るかっただろうか。 そんなに気づいたか、土方の歩みが遅くなった。 「悪かったな唐突で。あと寝たのか?」 「昨日は大人しく寝てたよ。で、ちょっとぐらいは質問に答えてくれていいんじゃない?」 「行けば分かる」 それは答えになってはいないとは思うが、上機嫌だったのでこれ以上聞くのは止めた。 見世から少し歩くとあらかじめ用意していたらしい馬がいた。 ひょいっと体を抱え上げられ、先にを馬に乗せると、後から土方が後に乗る。 「俺も馬乗れないわけじゃないんだけどなぁ……」 「袴ならともかく、着物じゃ無理だろ。それに、一頭しか用意できなかったんだよ」 そんな会話をしつつも馬は軽快に走りだす。 途中休憩を挟みつつ、距離はあるがさほど疲れるほどでもない。 道中が暇かと言えばそんな事はなく、滅多に外に出ないとしては久々に見る昼間の外は、明るく不思議な世界に見えた。 そうして、見えてきた景色は鮮やかな紅色だった。 「どうだ」 馬を止めて誇らしげに言った土方の声から察するに、今日外に連れ出した理由はこの紅葉なのだと知れる。 は素直に、鮮やかに色づく紅葉を見つめながら感嘆の息を漏らす。 「これは見事だな……」 実を言うと、これまで生きてきた中で、紅葉を見たのは実は数えるほどしかない。 幼いころと、客が夜に見せてくれたり、手折って持って来てくれた枝など、ぜいぜいそのぐらいだ。 昼間にこんなに見事な木が何本も植わっている情景は、初めてといっても良い。 足元には一面の床紅葉が広がり、眩しいほどだ。 は風に乗って落ちる葉の一枚を掌に乗せる。 思えば、まず外に出ること自体が少ないのだ。 島原や吉原の遊女と違い、借金を背負っているわけでないので、身の上は自由だがそう言った季節を楽しむ事はまずない。 硬い地面とは違う、不思議な感触を楽しみながらは軽やかに紅葉の床を歩いてゆく。 「前に、外を見た事がないって言ってただろ」 言われて、夏祭りの時にそんな話をしたような気がする。 「そんなこと覚えてたんだ……」 「そんなことじゃねぇだろ。大体、風流ぶってる癖に紅葉狩りが初めてとか、どれだけ外に出てねぇんだよ」 言われるのは最もだが言い返せないのでとりあえず黙っておく。 一応はこうして気を使って連れて来てくれたわけなのだし。 「もしかして、桜とかも見たことねぇのか」 「え、あぁ……襖絵では見たよ」 「それは見てねぇだろ」 はぁと溜息をついた土方は、ひょいっとの腕を掴んで引き寄せる。 「絵よりも実物の方が綺麗だろ」 「そうだね……ちょっと眩しい過ぎるかな」 「暗い所に居るからだろ。たまには外に出ろよ」 羅刹となり、昼間出歩くことが減ったと言うのに、やはり土方の方が日の本が良く似合う。 「もう少し奥まで行ってみるか。単に紅葉と言っても、楓以外にも色づく物はあるんだぜ?」 「へぇ、それは是非見てみたいな」 馬に二人乗り、ゆっくりとした速度で歩きだす。 大きく息を吸い込むと、枯れ葉と太陽の香りが肺を満たす。 暗い影が落ちる世の中だが、自然の世界はこんなにも明るく眩しかった。 ー幕ー |