とらわる



 月も出ない暗い夜、灯りと言えば唯一手元に持つ提灯だけ。
 優美な桜が舞い落ちる中、幾人かの取り囲む男たち。
「お命頂戴つかまつる!!」
 中心人物と思われる男の声に、狙われている連れはぎりっと歯を食いしばった。
「くっ……!!」
 苦虫をまとめてかみつぶした表情で、男たちを睨みつけている。
 自分はというと、表面上は怯えたように連れの腕にぎゅっとしがみついていながら、冷静に相手の男たちの人数と素性を探っていた。
 に取って一緒に居る男はただの客で、面倒な事に巻き込まれたなぁとは思いつつ、あまり恐怖心はない。
 仮に自分は関係ないと言っても、見逃してはもらえないのだから、まずは「ただの遊女」を演じることにした。
「下がってくだされ」
 小さく頷いて、は腕を外して連れの男より少し離れる。
 走って逃げるという手も考えなくはないが、どの道この人数では足で負けるのは目に見えている。
 仮に逃げられたとしても、こんな現場を見たとあっては今後の仕事に差し支える。
 無駄な体力は使わないに限ると早々に判断し、大人しくする事にする。
 が離れて足を止めると同時に、怒号と共に斬り合いが始まる。
 連れの腕はあんまり期待していなかったが、長州の反幕府派の中でも重鎮なだけあって、これまでも場数を踏んでいるのだろう。
 だが、どれだけ力が強かろうと、多勢に無勢。
「ぐあぁ……」
 袈裟がけに背を斬られた所を、別の男が腹を突いた。
 案外、呆気なく勝負はついた。
 これまでの客の中では、かなり羽振りのよい上客だっただけに少しだけ残念だ。
 がっくりと膝をつき、息の音が止まったのを確認したところで、男たちの目はこちらに向けられる。
「恨みはないが、この場を見られたからには生かしてはおけぬ」
 言われて、短く悲鳴をあげて僅かに後ろに下がる。
「この暗がりで、お顔は存じません……どうかご慈悲を……」
 言いながら、相手の男たちの距離と、死んだ連れが落とした刀の位置を確認する。
 こわごわと後退りしながら、震えた手で取り落としたかのように、ぽとりと提灯を地面に落とす。
「覚悟!!」
 ふっと提灯が消えたところで、男とが動くのは同時だった。
 落ちている刀を素早く拾い上げ、は男の首を寸分違えず斬りつけた。
「がっ……」
 か弱いただの遊女だと油断して、斬り掛ってきた男は一人だけ。
 他の男たちは灯りもない暗闇で、何が起きたのか理解できないようだ。
 人の目は暗闇に慣れるのは時間が掛る。
 男たちはが持っていた灯り以外に頼りもなく、を注視すると同時に提灯の明るさに目が慣れていたのだろう。
「おい何が……」
 その声が途中で途切れ、やがて声は次々と怒号や悲鳴に変わる。
 遊女でもなければ人でもないにとっては、灯りがなくともこんな暗闇では十分すぎるとほど男たちの姿を見ることが出来る。
 ほとんど急所を狙って仕留め、十人余りの男たちは呆気なく倒れ伏した。
 そのままは男たちの屍の向こう、大きな桜の木に向かって袂から取り出した小刀を投げる。
 跳ね返されるキンッと金属的な響きを聞きながら、間合いを詰めて刀を振り下ろすと、それも強い力で受け止められる。
 倒れている男たちの味方なのか、ただの通りすがりかは解らないが、そこにもう一人いるのは解っていた。
 顔を見られて困るのはこちらも同じである。
 仕事柄、様々な人間を相手にするため、この後見逃して面倒が起きても困る。
「綺麗な顔をして随分とやるようだ」
 幾分楽しげな声には答えず、一回離れると今度は男の方から斬り掛って来る。
 刀の重さに加え、体重を掛けたその一撃は重く、受け止めるとその衝撃で手がしびれる。
 しまったと思った時には遅く、力の入らない手から刀が飛ばされ、地面に押し倒される。
 その瞬間、すっと視界が明るくなる。
 雲が割れ、その間から月が姿を見せたのだ。
 一瞬目が眩むが、睨むように相手を見るとそこには人の悪い笑みを浮かべた男の顔がある。
「ほう……やはり美しいな」
「そりゃどうも」
 痺れた手は、まとめて頭の上で男の手によって封じられている。
 軽口を叩きながら、蹴り上げようとしたところで、それを見越したのかぐっと体重を掛けられた。
「随分と威勢がいいと思ったら、貴様は男か」
 こんな恰好をしていても、やはり普段の声に戻したところで相手も男と気づいたらしい。
「残念だったなぁ……男で」
「いや、これはこれで面白い」
 何なんだこの男は、と思いながらもそれに付き合ってやる義理はない。
「そちらさんは俺の連れの相手か、それとも」
「どちらも知らんな」
 こちらが話終える前に、きっぱりと言い切るその言葉を嘘とは思えない。むしろ、そんな事はどうでもよいと言わんばかりだ。
「俺はお前に興味がある」
「あの男たちと同じ事を言うのは癪だが、今後の生活に関わるんでね。あんたには出来れば死んでほしいんだが」
「遊女の振りをしているのではなく、もしや陰間か。ならばお前を買う事が出来るな」
 男の言葉に、はしばし沈黙する。
 会話が噛み合わない。
「こいつらなどどうでもいい。元より関係がない事で、俺が黙っていれば済む事だろう」
「はっ、それに黙って頷くほど、俺はお人好しじゃないんでね。第一、お前の名前も正体も……」
「芹沢 鴨。それが俺の名だ。新選組の局長をしている」
 あっさりと名乗られた事に、は僅かに脱力する。
「俺がただの遊女やってると思うのか」
 忍びだって何だって、女の恰好をして動向を探ることがある。
 特に、酒が入ると人の口は軽くなり、様々な人間が集まれば情報も集まりやすい。
 そして、人は一時の色恋に目が眩みやすく、それを利用することだって厭わない。
「だが、お前は『両方』殺しただろう?」
 その言葉に、は押し黙った。
 連れの長州派の男の味方であれば、男が死ぬ間に助けることが出来た。だが、あえて『見殺し』にしたのだ。
「殺したと言う事は、貴様は長州でも幕府派のどちらでもないと言う事だ。己の保身さえ保てればな……」
 それは間違ってはいない。
 言い切られ、答えに窮しているとそろりと空いている片手でそろりと頬を撫でられる。
「口止め料とお前自身を含めて買ってやろう」
 しばし考えたが、この噛み合わない会話を続けるのも面倒になる。
「まずは退け」
「逃げるのでなければ離してやろう」
 離したら刀を拾って切りつける事も出来ると言うのに、そう言った心配はしないのか、それとも仮にそうなったとて勝てると思っているか。
 どちらにせよ頷くと、男――芹沢はすっと手を解放して立ちあがった。
 もぱたぱたと髪や服についた砂を払い、改めて自分の着物を見て溜息をつく。
 至る所に血が付き、綺麗な染付も斑になってしまっている。
「しまった……」
 不可抗力とはいえ、普段世話になっている店の借り物であることを思い出す。
 普段は遊女の格好などしないで自分の店で適当な着物を着ているが、今日は知り合いの吉原の店で遊女として手伝いしながら稼いでいたのだ。
 汚してしまったとでも言って、新しい着物を返しに行こう。
 男と歩いてから自分の店に戻る予定だったので、この血濡れの着物さえ始末してしまえば済む話でもある。
「それより、返事を返してもらってないが」
「あぁ、俺を買うって話か」
 まだ話が続いていたのか、と思ったが至って本気らしい。
「そうだ」
「あ、そう。五両寄越せ」
 引き下がるかと思ったが、あっさりと芹沢は頷いた。
「いいだろう、だが今は持っていないからな……惜しいが次の機会だ」
「はいはい」
 先ほどまで斬り合っていた相手とは思えないが、まぁ嘘か本当かとりあえず口が軽くもなさそうだ。
 新選組の人間の顔は解らないが、本当にこの男が局長なのかは後日調べれば済む。
 いざとなったら手を打つ事も出来る。
「名は何と言う」
「……
 どの道、自分の名が本名かどうかなど相手には調べようもない。言い換えれば本名を言った所で、信じる信じないは相手任せだ。
「とりあえずさ、店は今日じゃなくていいだろ」
 流石に今から客を招いて酒に付き合うのも正直面倒だ。
「店は何処にある」
「上七軒界隈の番頭に鬼灯の灯りは何処にあるかと聞いてくれ」
 陰間茶屋と言えば大体祇園の宮川町にあるが、がいる店は上七軒にある。
島原や祇園界隈と離れているが、こちらも花街として人が多い。
 看板なども出していないし来る客はごく僅かだが、鬼灯の灯りと聞けば番頭たちは直ぐに場所を教えてくれることだろう。
 芹沢は満足そうに頷いた。
「ただし、誰か新選組の連れを連れてきても入れねぇからな」
「面倒な物は持って行かぬさ。まぁ、楽しみにしていろ」
 芹沢は刀を拾い、歩きだした。
 なんだか一晩でどっと疲れたが、とりあえずは店に戻る為に反対方向へ歩き始める。
 新選組――あまり話を聞かないが壬生狼と呼ばれている集団だと言う。
 確かに、今日あった男は、どちらかというと獣のような男だった。
「さて、どうなることやら……」
 空を見上げると、穏やかに血を照らす月が浮かんでいる。
 この時はまだ、この新選組と深い付き合いになるとは、もまだ想像していなかった。

ー幕ー

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