遣らず雨

「雨か……」

 帰ろうと経ちあがった時、外を見てぽつりと漏らしたの言葉に、つられて友雅は庭先を見た。

 池に幾つかの波紋が広がっては消え、次第にその数も多くなり波紋で池が埋め尽くされた。

 しばしそうして雨を見つめていた友雅に、は少しだけ意地悪く笑って言った。

「雨が私に味方したのだろうさ」

 その言葉に眉を顰めた友雅には、わざとらしくついっと顔を逸らす。

 雨が味方すると言う意味を、和歌を嗜む友雅ならば用意に想像できた。

 恋人が帰る頃になって降り出す雨を遣らずの雨と言う。

 つまりは今と同じ状況なわけで、滅多に来ない友雅を帰さんと雨だけが の心を察してくれているという意味だ。

 友雅はを守る八葉の一人であり、宮廷の女性達を騒がせて止まぬ好き者として知られている。

 と何時の間にやら親しくなるうちに、友人以上恋人未満と言う曖昧な関係になった。

 龍神の神子が現れたと言えど、鬼の一族は怨霊を呼び起こし、都は次第に滅びへ向かっている。

 そしてそれを食いとめる神子を守る八葉として、そして近衛の少将として友雅も日々多忙であるために滅多にここに来ない。

 好きなときに来て好きなときに帰れると言う、都合の良い相手と思っているのかもしれない。

……」

「酷くならぬうちにさっさとお帰りよ」

 友雅の言葉を遮って、は友雅の顔を見ずに言った。

「本当に済まないね」

「自分の役回りぐらいは解っているつもりさ」

 はそれ以上何も言わず、背を向けてそのまま奥の部屋に姿を消した。

 それから数日後、宮廷で友雅の話題が持ちあがった。

 数人の高貴な女性がぷっつりと縁を切られたらしい。

「本当に、どちらの方にご執心なのかご存知ありませんか」

 周囲から友人と言う立場だと思われているに、振られた女性の女房が尋ねて来たが、は答え様もなかった。

「私には解りかねます」

 使いなれない敬語にいらいらしつつ答えると、女房はそうですかと肩を落とした。

 どこの女性の差し金は知らないが、こんな風に様々な人間に聞いて回るということは、相当しつこい性格なんだろう。

 帰りかけていた女房は、思い出したようにもう一度向き直った。

「ここに雨は降らない……この意味はお解りになりますか?」

「はい……?」

 思わず聞き返すと、女房は話を続けた。

「姫様に別れを告げた後、そうぽつりとおっしゃったそうで……」

「それも、私には解りかねます」

 そう告げると、女房は肩を落として去って行った。

 その後姿を見送った後、は被っていた烏帽子を取って、きちんと結った髪を解いて軽く括る。

 本当に正装と言うのはわずらわしい。一段落ついて、は溜め息を付いた。

「雨が降らぬ……ね。本当に勝手な奴だよお前は」

 わざとらしく大きな声で言うと、建物の影から友雅が姿を現した。

「私もそう思うよ」

 目の前まで歩いてきて伸ばされた手から、はするりと抜け出す。

 少し眉を寄せた友雅と反対に、は意地の悪い笑みを浮かべた。

「お前のせいでこちらは良い迷惑さ。で、理由はなんだい」

 この男に限って、別にどうしても好きに女が出来たから、全ての女と手を切ったなどと言うことはないだろうとは思う。

「雨が降らないからだよ」

「……意味が解らないのだけど」

 友雅は口元に笑みを乗せ、の手を引いて柔らかく抱きしめた。

「私を引きとめる遣らず雨は、のところにか降らないらしくてね。それを考えたら、囲っていた女性たちに、大した価値も見出せなくなっただけだよ」

「遣らず雨はたまたまの事さ。お前だって解っているだろうに」

 皮肉を込めて言ったつもりだったのだが、目の前の男はさして気にした様子もない。

 そこが余計に憎たらしいのだが、怒れない自分もいる。

 浮気性で、あちらこちらへふらふらしているこの男のどこが好きなのかと自分でも思うが、そんな掴み所のないところが好きなのかもしれない。

 我ながら面倒な奴に惚れたものだと歎息し、相手に合わせてやるのも癪に障るのではさっさと歩き始めた。数歩進んだところで、鼻先に冷たい物が当たり立ち止まる。

「雨……か」

 ぱらぱらと絹糸に似た雨を受けて、後ろから楽しげな友雅の声が響いた。

「今回の雨は、を引きとめる為の雨のようだね。さて、よければ私の屋敷にでも来るといい。幸い私は牛車だし、君は徒歩だろう」

 は溜め息を付きながらも、友雅が差出した手を取った。

 絹糸の雨は次第に強くなり、友雅は自分の上着を脱いでそれを笠代わりに被せ、二人並んで歩き始めた。

 雨はまだ当分止みそうには無かった。

ー幕ー

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