「……いるのか?」 呼ばれた声に、薄っすら目を開けると辺りは寝る前よりも一層暗くなっていた。 起きあがるのも億劫だが、起き上がって濡れ縁に出るとそこには一人の男がいた。 長い髪を高く束ね、いかにも武士といった出で立ちだが、顔が厳ついわけではなく綺麗に整った顔立ちをしている。 名は源頼久といい、都の滅びを食いとめる龍神の神子を守る八葉である。 「いかがした。滅多な事では訪ねて来ぬお前が珍しいな」 月光を受けて、のふさふさとした尻尾が銀に輝いた。 は都に近い山に住んでいる狐で、見た目こそ頼久と変わらぬが、既に 本人ですら解らぬほど歳をとっている。 以前、この山で鬼の一族が怨霊を呼び起こし、鎮める為に神子と来た時に手を貸して以来、頼久は折りを見ては訪ねてきていた。 「まぁ、上がれ」 言って、は奥に引っ込み酒を手に戻って来た。 「今日は神子殿の護衛は良いのか? まぁ誰もいない時に放ってくることはないだろうが」 あまり得意ではない頼久の為に、酒は杯の半分だけ注いで手渡した。 「天真や友雅殿もおられるから、恐らくは大丈夫だろう」 「さようか。まぁ、神子に何かあったのなら直ぐに送ってやるさ」 頼久は顔を見に来たということも、なくは無いのだが、大抵は何か相談事がある時の方が多い。 顔を観察すると眉間に立て皺が寄っていて、は外れていない事を確信した。 自分の盃に酒を注ぎ、は素知らぬ顔で空を見上げた。 「神子殿は……私の事を疎んじているのだろうか?」 急に何を言い出すのかとが頼久の顔を見ると、頼久の眉間の皺の数が少し増し、心苦しそうな表情であった。 は何度か神子にあった事はあるが、彼女が人を疎むなどよっぽどの事だと思う。 鬼が頼久を怪我させた時などは、流石に鬼に対して不の感情があったらしいが、物の怪であるに対しても他の者と分け隔てなく接する事が出来る性格は好ましい。 「神子殿がお前を疎んじる? 何故そう思うのだ」 聞けば、頼久は溜め息を付いて事のあらましをに話した。 「神子殿がここ最近、夜の警護はいらないと……」 「それはお前の体を案じてのことさ、神子殿が言うことは最もだと思うぞ」 そうは言ってみたものの、頼久は眉間に皺を寄せたままだった。 仕方ないのでわざと大きな溜め息を付いて、頼久の頭を無理やり引き寄せて自分の尻尾の上に乗せた。 「っ……」 言いかけた頼久の口を指で抑えて黙らせ、は笑った。 「今夜このまま山を降りて星の姫の屋敷に帰るには、少し遅すぎるだろう。下の者に頼んで連絡してやるから寝ろ。それとも神子殿の気遣いを無視するのかお前は」 有無も言わさぬの言葉に、頼久はしぶしぶ頷いた。 自分の尻尾はふさふさとしているせいか、催眠効果があるらしい。神子も以前尻尾を触っている間にうとうとしてそのまま寝ていたし、あの人前で寝ない泰明もこの尻尾の上で寝たぐらいである。 頼久も例に違わず、やはり心地よいのか次第に瞼が落ちて来ている。 「ゆっくりとお休み」 顔に掛かった前髪を退けてやり、は一人また晩酌を始めた。 夜は深々と更けていった。 ー幕ー |