求めるもの

 どうして貴方は、こんなに私の心を乱すのだろうか。

 寒い一月の空の下で、橘友雅は水色の和紙を懐から取り出して見つめた。

 外はまだ昼前なのにこの和紙の色より遥かに曇り空。

 そのせいでただの空色が生えて見えた。

 もらった物ではなく木に括り付けてあったのを見つけただけだったが、たぶん自分宛に間違いないと思った。

 その木が他でもない、橘の木だったからだ。

 そしてこんな品のある文を書く相手を、友雅は未だ知ることが出来ずにいた。

 書いてあるのは貴方に会いたいと取れる詩だけ。

 だが、手がかりはそれだけではなかった。

 微かに香る、まるで今降っているかのような雨の匂い。

 今までこんな香りと出逢った事はなかった。

「何見てんだ?」

「人に見せる物ではないよ。それより、天真は神子殿と一緒ではなかったのかな?」

 こちらから質問したのにはぐらかされて、天真は少し嫌そうな顔をしたが問い詰めはしなかった。

「どうせ女からの文なんだろ? あかねは朝会ったけどイノリや詩紋と一緒に市に行くって言ってた。俺は今日は頼久と稽古の予定なんだけどあいつ、なかなか来ないんだよ。もしかしたらあかねやと一緒に市かとも思ったんだけどな」

 天真の話を聞きながら文をしまった友雅の耳に、聞き慣れない名前が聞こえた。

 向こうの世界から来たのは、詩紋と天真だけではなかったのだろうか。

殿というのは?」

 そう友雅が聞き返すと天真は、少し引きつった笑いを浮かべながら友雅から視線をそらした。

 それはいかにも、疚しい事を抱えていますと白状したような顔だ。

「天真、何を隠している? そんな顔をしていると、隠さなくてはならないどこかの姫君でも連れ去ったのかな?」

は姫じゃなくてどこかの貴族の息子だって聞いた。俺も詳しくは聞いてないけどな。市や民の暮らしを見たことが無いっていうから行くと言ってたけどな」

 天真は一生懸命弁解しているが、友雅が笑っているのに気付くと文句を言い始めた。

「貴族ね。どの貴族のご子息なんだろうね?」

「そこまでは知らないけどあかねが友達だって言ってたし。俺は頼久探しに市に行く」

「私も行くよ」

 天真と友雅は牛車に乗って市に行ったが、そこであかねの姿を見つける事は出来なかった。

 日が暮れ始めたとき、友雅は縁側に座っているあかねを見つけた。

「神子殿、市に行かれたと天真から聞いたが、何かお探しだったのかな?」

 友雅があかねの隣に腰掛けてそう問うと、あかねは首を横に振った。

「いえ、君が市を見たいって言ってたから一緒に行って、そのあと東寺に行ってたんです」

 そうあかねが答えた時、あの文の雨の匂いがした。

「あかね、今日はありがとう。楽しかった」

「ううん、私も楽しかったから。あ、紹介するね。八葉の一人で橘友雅さん」

 友雅が匂いに気付いて立ち上がると、あかねの向こうに浅黄色の狩衣が見えた。

 身長は友雅よりも低いが、美しく伸びた黒髪に真っ直ぐ見つめてくる漆黒の瞳。

 少年とすぐにわかるがその辺の女御より美しく、友雅はしばし目を奪われた。

だ。そんなに見るなよ、穴が開きそうだ」

 苦笑交じりにそう言われ、友雅は軽く頭を下げた。

「失礼致しました。左近衛少将橘友雅と申します」

「知ってる。俺の文読んでくれたか?名前を書かなかったが」

 友雅がを見つめると、は苦笑しながら友雅を見上げた。

 身長は友雅より幾分か低いが、何故かこの少年に威厳を感じる。

「では、やはり貴方が……。その香で解りました。それまでは何処のどなたかも解りませんでしたよ」

 は爽やかに笑って友雅の手を取り、その手に自分の手を重ねた。

「もし私が好きじゃなくても、そのうちに好きだって言わせるから」

 友雅は微笑みながら、しっかりとの手を握った。

「それは楽しみだね、殿」

 空に浮かぶ白い海月だけが、ゆっくりと重なった二人を見ていた。

〜幕〜

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