泰明の近くにいるのは決められた八葉でも、同じ職場の陰陽寮の人間でもなく自分だけだと思っていたとお前に話したらきっと思い上がりだと嗜めるだろう。 それでも泰明の中で自分は他の人と違う位置にいるのだと、そう思いたかった。 師匠の用事で陰陽寮へと足を運んだものの、肝心の安倍清明は留守である事がわかりは肩を落とした。 書類の捺印を貰うだけなのだが、本人からもらわないと師に後で何を言われるかわかったものではない。 以前などは仕事で少し間違えただけで貴船の近くまで文を届けに行かされた。牛車ではなく徒歩でである。 ここぞとばかりに面倒事を押し付けられ、嫌味をずっと言われ続けるのはごめん被りたい。 ここまで来て帰ることも出来ずに、仕方なく清明の部屋の縁側に座っていると少し離れた場所に薄い緑の髪とすらりとした身体が見えた。 この京でそんな珍しい色の髪の人間をは一人しか見た事がない。 京でが友人以上の感情を抱いているただ一人の人物である泰明の姿が見えて、は笑みを浮かべて泰明を呼んだ。 「泰明、今少し時間いいか?」 「師匠なら用事で東寺に行ったぞ」 「いや、それは聞いたが晴明様が戻られるまで少し時間あるか?」 単に一人で陰陽寮にいるのが居たたまれなかっただけなのだが、泰明は何も言わずの隣に腰を降ろした。 泰明は口数は多くないが素直で、はそんな泰明が以前より少しずつ人間味が出てきた事に笑みを浮かべた。 「何だ」 「いや、泰明最近変わって来たなと思って。前はもう少し率直な物言いだったけど、今は大分丸くなった」 がそういうと泰明は眉間に皺を寄せ何か考え始めたが、やがて合点がいった様にに目を向けた。 「そうか? ……変化と言えば神子が来たからだろう。不可解な事を言うが色々知る事も多い。」 「ふぅん、神子って龍神の神子様か?そういえば頼久と前に話したときに言ってた気がする」 それに仕事仲間が頼久が一人の女性に首ったけと嬉しそうに話していたのをは思い出したが、その女性が多分神子の事であり頼久だけではなく泰明にも影響を及ぼしていたとは驚きだった。 は一人納得したが、泰明は不機嫌そうにを見つめてきて何故泰明がそんなに不機嫌そうに眉間に皺を寄せるのかわからなかった。 「そんなに気になるならお前も神子に会ってみるといい。理解出来ないが最近は少しずつわかってきた」 「ま、会えたらな。それにしても理解出来ないって酷い言い方だな。ま、人の考えてる事が全てわかろうとするのは不可能だしな」 「全て、は不可能だろうが少し、は出来るだろう。現に私とお前は神子という人間について共有した」 泰明の問題ないは良く聞く言葉だが、自分から泰明独自の前向き思考でこんなに自分の事を話すとは知らなかったし思いもしなかった。 だが泰明にとっていい傾向だとは嬉しくもあり、変えたのが自分ではなく神子という事に少し悲しくもあり目の前に広がる庭に視線を移した。 知らぬところで物も人も確実に動いていて、それを全て知る事は出来ない。 ただ晴明には負けるだろうが、泰明の身近にいてその変化を一番最初に知る事が出来るのは自分だと思っていた事には落ち込んだ。 いつから傲慢な考えが心にいたのだろう。悶々と考えていると横合いから泰明の声がした。 「、いつ頼久と話したのだ」 「え?」 急に問いかけられて泰明の方を見ると、怒っているような顔に出会いは必死に今までの会話を思い出した。 「頼久とか? この間、墨染でばったり会って」 「そうか。お前が名前で呼ぶようになるぐらいには仲が良い様だな」 「俺が頼久って呼んだらまずいのか? まぁ役職的には俺が上だし問題ないと思うんだけど」 泰明は自分の言った意味を理解していないに少し苛立ったが、自分から理由を言って気付かせてやる義理もない。 は礼儀などをきちんと守る青年だから、易々と地位が下の者であろうと簡単に呼び捨てにはしない。 だが、例外も中には存在する。 一度自分の懐を許してしまえば、どこまでも深く自らの心を許してしまう。 名前で呼び合うのもその範疇に相手がいるという事だろう。 いつからだろうか、泰明と自分の名を呼ぶことに嬉しさを感じたのは。 友人が多く下の者からもからも信頼が厚く、清明も一目置いている事にだけが気付かない。 晴明がの名を出す度に何ともいえない気持ちになって、泰明はこの時ばかりは師匠が嫌いになるのだ。 泰明は何故かと神子に共通するものを見たような気がした。 「お前は神子に似ているな」 仕方ないと言うように嘆息すると心外だと言わんばかりに漆黒の瞳が大きく見開かれ、泰明は少し笑みを浮かべた。 泰明にしては珍しい表情の変化に訝しげに眉をしかめたが、にはその理由が全く分からない。 人の悪い笑みには見覚えがあって、はどこでだったか考え込んだが思い当たった瞬間、心底嫌そうな顔をした。 「泰明、しばらく会わないうちに性格悪くなってるな。清明様にそっくりだ。人の悩んでる顔や困ってる顔見て笑ってるんだ」 「そうか。なら、お前のせいだろうな」 「なんで俺のせいなんだよ」 「師匠はお前を可愛いとおっしゃっていたからな」 「それは初耳なんだけど、泰明、質問の答えになってない!」 が泰明に反論すると、面白いものを見たように後ろから大きな笑い声が聞こえた。 振り返ればが待っていた安倍晴明その人で、泰明は頭を垂れて挨拶しも頭を下げた。 「泰明とお主が喧嘩とは珍しいものを見たな」 「いや、晴明様これは」 「喧嘩ではない」 が否定する前に泰明に言葉を持っていかれ閉口していると、優しい晴明の瞳と目が合った。 自分の息子のような柔らかい晴明の瞳には嬉しさを見たが、泰明はまた不機嫌そうに眉間に皺を寄せて晴明を睨んでいる。 「そうかな、泰明。まぁよい、殿お待たせしてすまなかった。捺印だったな」 「はい」 晴明に促されが書類を持って清明の部屋に続こうとした時、少し冷たい手がの腕を掴み引き止めた。 「泰明?」 「……いやなんでもない」 珍しく言いよどむ泰明に不審に思ったが、は小さく笑みを零して泰明の手を握った。 「ちょっと待ってろよ。俺、この後仕事終わりだからどこか出かけよう。場所は泰明決めていいから」 「わかった」 晴明に捺印を貰ってから二人が出かけた場所は何故か墨染で、は不思議がったが泰明は理由を教えてはくれなかった。 気になってはいたがここまで来て、また泰明の機嫌を損ねるのも本意ではなかったし泰明と出かけるのも久しぶりでは疑問を頭の片隅に追いやった。 もう桜は散ってしまっていたが、来年の春頃此処に来るのもいいとは思った。 「また墨染来ような」 帰り際そう笑顔で告げれば泰明はもう来ないと告げてくるものだから、は疑問に思ったがある事に気付いて笑みを浮かべた。 「泰明お前、俺が頼久と此処で会ったの気にしてたんじゃないよな?」 「さぁ、どうだろうな」 しれっとした顔で言うわりに先を歩く泰明が妙に可愛くて、は笑みを浮かべて後ろから泰明に飛びついた。 「……重い」 「いいだろ。それにしても頼久に妬くとは思わなかった」 は言い終えてから気付いたが妬くという事は好意が前提で成り立つ話で、泰明の自分への想いが友情ならこの会話が成り立たない事に気づいた。 言った言葉は取り消しはきかないという事を身を持って知っただが、泰明を見れば妙に考え込んでいて慌てた。 「泰明、今のは忘れ……」 「そうか、これが嫉妬というのか」 「いや、そこ納得するところじゃないから」 苦笑交じりに言えばそうかと納得する泰明がいて、何故か慌てていた自分が可笑しく見えて笑える。 泰明といると新鮮で新しい気持ちに気付かされる。 「泰明、好きだよ」 「そうか」 あっさりとした答えに伝わっているのかいないのか判断がつかないが、今はまだこのまま隣にいれればいいかとも思う。 独占する事は叶わないだろう、自分も泰明もそれぞれの世界があって今ここにいるのだから。 「」 名を呼ばれて泰明を見れば、直ぐ目の前に泰明の瞳があってぼんやりと眺める。 「泰明?」 呼んだ瞬間柔らかな感触が唇に触れ、は驚きに声を出せずに泰明を見つめるしかなかった。 人の感情というものをまだ良く分かっていない泰明が、自分からキスをしてくるなんて思わなかった。 「好きな人にするのだろう? 天真がそう言っていたが」 「……天真って?」 「同じ八葉だ」 は今度天真とやらに会ったら、泰明に余計な事を教えてくれたお礼と制裁を加えてやろうと心に固く誓った。 〜幕〜 |