雨の導きで

 しとしと降り始めた雨は冷たく瞬く間に強くなって、の身体の体温を容赦なく奪っていく。
 頭中将という役職柄上帝と接する事が多くなって、あまり外に出る事がなくなっているのが少しつまらなくなった。
 だから仕事が終わってから近くの神泉苑に出かけたのだが、この雨に降られて仕方なく近くの民家の軒下を借りている。
 かと言ってこのまま此処にいては風邪を引きかねないし、雨が止むのは期待出来そうにない。
「もう行くか」
 一人呟いて再び雨の中歩き出したが、だんだんと足元が覚束なくなり朦朧としてきた意識としてきた。
 そんな時誰かの声と力強い手に捕まれた腕の感触を最後に、の目の前に暗闇が広がった。
「頼久、この方は」
「はい、神泉苑近くで歩いていらっしゃるのをお見かけして、お連れしました。頭中将、殿です」
 剣の稽古をする為に外に出ていた頼久は、馬で藤姫の邸へ行く途中見慣れた後ろ姿を見て驚いた。
 恋い焦がれていた滅多に会えない恋人の姿を見たからと、供も連れずこの雨の中にいれば運悪く追い剥ぎにあったり切り殺されても文句は言えない。
 声をかけて掴んだ狩衣が雨に濡れたせいで色は変わり重くなっているのに気付いた時には、の身体は倒れそうになっていて慌てて抱き止めた。
 それから馬へ乗せてひた走り藤姫の邸に転がりこんで、着替えさせたりなどして今は落ち着いている。
 見つけたのがもっと早ければ、こんなに濡れなくてすんだのかもしれない。
 そう思いながらの額に手で触れると、少し熱くなってきて熱が出始めた事に気づく。
 用意して貰った桶に入った冷たい水で手拭いを浸して、そっとの額に置くと気持ち良かったのか微かにが笑った。
「まぁ、この方が……。頭中将様は帝に近い方ですもの、お疲れだったのかもしれませんわね。」
「そう……ですね」
 藤姫はそっと枕元に水差しと替えの手拭いが乗ったお盆を置いて、未だに目覚めないを心配そうに見つめた。
「もう少し様子を見て、具合が良くならないようでしたらお医者様をお呼びしましょう」
 そっと藤姫は立ち上がると、何かあったら呼ぶようにと言い添えて自室へと戻って行った。
 まだ雨は降っているらしく今も地面を打つ水音は止むことも無く続いているが、この雨のおかげでと会えたのだとすれば感謝するべきなのだろう。
 そう言えばと先ほど会ったのも神泉苑で、雨乞いの儀式などする雨に関係のある場所だったと思い出す。
 そっとまだ熱い手を握ると微かに瞼が動いてゆっくりと瞳を開けて、の瞳が頼久を捉えたかと思うと驚いたように目を見開いた。
「あれ、なんで……」
「私がお名前を呼んだ事もご存じないですか。気を失われた貴方をこちらの藤姫のお邸へ運ばせて頂きました」
 そう言われて思い返せば気を失う直前に、よく知った気配が近くにいて切羽詰ったような声で名前を呼ばれた気がする。
 頼久には悪い事をしたと思い、起き上がろうとすれば軽く首を振って動くなと言われて少し悲しくなる。
「悪かったから、怒るな」
「でしたら、お一人で出歩くのは止めて下さい。もし何か御用があるならおっしゃって頂ければ参りますから」
 そっとの上に覆いかぶさる頼久の背中にそっと手を回せば、小さく耳元で息を吐いた頼久に気づいて顔を見ようとしたがしっかりと抱かれていて上手く見れない。
 体重がかからないようにしてくれているせいで重くは無いが、顔が見れないのは少し寂しいと思ったがこんなに傍に感じられるのは久しぶりな気がしていいかと思い直す。
「俺が望めばお前は俺のものになるのか?」
「今更何をおっしゃっているのですか。頭中将ともあろう方が……ずっと前から私は貴方のものです」
 そっと囁かれた言葉はどんなものよりも甘美で、これ以上ないくらい嬉しくて頼久の耳に唇を寄せた。
 頭中将といえど思い通りになるものなどあるようで無いに 等しい。
 それでも頼久を呼べば来てくれるなら、悪くは無い職だと思った自分も調子がいいのだろう。

「もう大丈夫なようですわね」
「はい。大変ご迷惑をおかけ致しました」
 一晩藤姫の邸で世話になったはもうすっかり良くなって、大事を取って出仕はもう一日休みをとる事を決めたが自宅に帰ることにした。
 何度か様子を見に来てくれて世話も焼いてくれた藤姫に礼を言い、後にしようとした時先ほどまでいた頼久の姿がない事に気付く。
「また、いらしてくださいませ。お待ちしておりますわ」
「はい」
 きっと彼のことだから稽古や仕事に行っているのだろうと思い、敢えて藤姫にも頼久の事を聞くことをせずに邸を後にする。
 門を潜ろうとした時、勢い良く腕を掴まれて門の内側へと引きずり込まれての唇に優しいものが触れた。
「ん……」
「抵抗、なさらないんですか」
「自分からやっておいてよく言うな、頼久。それに俺の物か他の奴かくらいわかる。叩き伏せるくらいは出来るぞ、なんなら稽古つけてやろうか?」
 飾りではない腰の刀に手をやってにやりと笑えば、頼久は敵わないとばかりに苦笑を漏らした。
「いえ、遠慮しておきます」
「残念だ。ついでだ、俺の家まで送ってくれるか」
「はい、おおせのままに」
 傍らに黒い馬を連れている事からきっと言わずとも送ってくれるつもりだったのだろうが、その心遣いが嬉しいやら気恥ずかしい。
 小さく有難うなと呟けば、頼久は黙々と通りまで歩いていたがその耳は赤く染まっていた。

〜幕〜

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