そっと見上げた空には瞬く星が広がっていて、それを見ながら友雅は手にした杯を軽く唇につけて舌触りのいい酒を味わう。 茜色の空が段々と夜へと移り変わっていく様を一人縁側でゆっくりと、しかも旨い酒があるのなら文句を言っては罰が当たると言うもの。 だが、傍らに恋人であるがいないのが本当に残念で仕方なかった。 京から離れた場所にあるこの邸はそんなに広くはないが、人々の喧騒もなく虫の鳴く音と風の音が聞こえてくるだけで本当にここは京かと疑いたくなるほど静かだった。 きっと地方の山中だといわれても納得してしまいそうなこの場所を教えてくれたのはで、以前ここはある貴族が別荘として使っていたが、今は使われていないのを惜しがった彼が仕事でこちらに来るときの拠点として借りているらしい。 山が近くて四季折々の景色が望めるこの邸で度々落ち合い、二人でのんびり過ごしたりしているのだが今日は来られないとから文が届いたのだ。 「一人ならやめてしまえば良かったかな」 それでも足を向けたのは彼が来てくれるのではないかと、自分でも驚くほど甘い幻想に囚われたせいで馬を走らせる足を止める事は出来なかった。 ゆっくりと雲が流れて隠していた月を友雅に差し出すように姿を見せた頃、ふと馬の足音と人の気配がして友雅は静かに杯を置いて酒を注いで気付いていない素振りをした。 聞こえた馬は一頭だけのもので、もしかしたら火急の知らせで友雅を呼びに来た使いの者という可能性も無くもないが夜盗という選択肢も否定できないのも事実だ。 門が開いた音がして砂利を踏む音が近づいてきて視線を向ければ、薄衣をふわりと 靡かせた青年が艶やかな笑みを浮かべてこちらに歩いてきた。 「来ていたんだな」 「まさか月と同時に、愛しい君に会えるとは思わなかったけれど。来て良かったよ」 はふわりと薄衣を脱ぐと友雅の前に立ち、そっと整った顔立ちで深い緑の色をした瞳を覗き込んだ。 内裏にいるときの友雅の瞳はどこか諦めているような冷たい色をしているのを見たことがあって、友雅に一番近いと自負しているでさえ少し近寄りがたい空気を感じる。 きっと様々な人から寄せられる羨望や嫉妬など絡む視線の中にいれば、自然とそうなってしまうのかもしれない。 だが今は優しい瞳でを映しているのが嬉しくてそっと微笑むと、友雅は驚いたように目を開いてから深緑の瞳を細めての顎に手を這わせる。 「あまり私に気を許さないほうがいいと思うけれどね。ここには私と君しかいない。これが何を意味するか、君は分からない訳でもないだろう?」 友雅が言いたい事がわかってが頬を染めて言いかけた時、そっと友雅は自分の指先での唇に触れて言葉を止めてそっと抱きしめた。 風は仄かに冬の気配を誘って、少し冷えた身体を友雅の体温が暖めてくれてほっと息をついた。 そっと友雅を見れば口元に手を当てて笑っている友雅がいて、そんなに可笑しいことをしただろうかと小首を傾げた。 「何か笑うようなことしたか?」 「いや、ここで落ち着かれても困るんだけれどね。君も飲むかい?少しは月を見てあげないとまた雲隠れしてしまうかもしれないしね」 「そうだな」 友雅がもともと出してあったもう一つの杯に酒をついでくれたから、は遠慮なく受け取って友雅の隣に腰掛けて口をつけた。 元々酒があまり強くないの為に選んだ酒だった為に、少し友雅には物足りないと正直思ったが一人で飲んでいた時に比べたら同じ酒なのに味が違う。 「君がいるせいかもしれないね、私に色や感情を付けてくれるのは」 「なら、これからも隣にいてやるよ。その代わり友雅こそ俺から離れていくなよ?」 にやりと笑って言えば友雅もふっと口元に笑みを浮かべて、そっと触れるだけの口付けをしてくれる。 でもそれだけじゃ足りなくて、からも唇を重ねれば底の見えない深い色をした瞳がこちらを見つめていてぞくりと背筋が震えた。 その瞳の奥には熱が確かにあって、それを向けてくれるが自分だけだと知っているから尚更嬉しくなる。 女房達の視線を集める近衛少将である橘友雅が、今だけは全て自分に向けてのものだと意識した瞬間には気持ちが高揚するのを止められなかった。 「誓えばいいかい? あの月と君の瞳に」 「友雅らしいね」 友雅の手をそっと握ると友雅も指を絡め返してきて、そっと胸に引き寄せられる。 瞳を閉じれば友雅の気配と仄かに香る白檀が心地よくを包んだ。 〜幕〜 |