君限定

 辺りは暗くなり始めていて、家々の明かりやネオンが窓の外を色づけ始めている。
 今日はの誕生日で月森が用意してくれたケーキと、の作った料理を食べてと楽しい時間が流れていた。
 料理は作ると言っただったが、ケーキまでは作る事ができずに今年はなくても構わないと思っていた。だが、月森が家を訪れてきたときに片手に四角い箱を見た時にもしやと思ったが、やはり中身はケーキでしかもホールで買ってきてくれたのには驚いた。
 これで全て誕生日に必要なものが揃ったのだが、月森がヴァイオリンケースを持ってきたことが気にかかって仕方なかった。まさか曲を誕生日プレゼントなんて言うのではと一瞬思ったが、どうも月森のイメージではなくどちらかというと柚木先輩が似合いそうだと思う。
「そういえばヴァイオリン、なんで持ってきたんだ?」
 食事の後片付けをしながらリビングに座っている月森を見れば、暫く気まずい沈黙が流れ視線を逸らされた。
「……いつも演奏聞きに来てるだろう。今日くらいだけに弾こうと思ったんだが、聞きたくないなら」
 止めると続くはずだった言葉はいきなり後ろから抱きつかれた衝撃で消えてしまい、月森は苦笑しながら自分より少し高い位置にある頭を撫でた。
 練習をいつも聞きに来ていたなら、変に物を渡すよりも一番喜んでくれるのではないかと思ったが予想は見事に当たった。
 ただ、曲までは決まっていなかったせいで幾つか楽譜は持ってきたが、どうにもしかいないと思うと落ち着かない気持ちになるのは何故かわからなかった。
 いつもならばコンクールであっても、殆ど緊張なんてせずに本番を迎える事が出来ていたはずなのに妙に落ち着かないのはここにいるのがだからだろうか。
 ちらりとを見やると嬉しそうに笑っている笑顔が目に入って、自然と頬が緩んで緊張がほぐれる。
「何がいい?楽譜はが好きそうなのを選んできたが」
 何度かリクエストを貰って練習室で弾いた事のある曲を持ってきたが、楽譜を見せるとちらりとこちらを見つめると目が合った。
「我侭言っても?」
「我侭もなにも、今日はの誕生日だろう。俺の出来る範囲では可能にするが?」
 知らない曲を言われてしまえばお手上げだが、大体有名な曲は知っているつもりだし出来うる限り望みを叶えたい。
 そう思っての瞳を見つめると、少し迷いながら口を開いた。
「愛の挨拶か」
「嫌なら別のでいいからさ」
「構わないが……。好きなんだな」
 月森はそういうとヴァイオリンに手を伸ばし、調弦をしたあとゆっくりと旋律を奏で始める。
 演奏者によって曲の表現は違ってくるが、月森の演奏はまさに愛にふさわしい優しい音色が音を紡いで今まで聞いたどの愛の挨拶より優しく甘かった。
 技術の要する曲を得意として来た月森も、最近はベートーヴェンのロマンス第二番など穏やかで表現力を要求される曲を練習しているのも知っている。
 月森のヴァイオリンが技巧だけではなくみるみる表現豊かになっていくのを見ると、自分の事のように嬉しく感じていつまでも聞いていたくなるから不思議だ。
?」
「……ありがとう。嬉しい……」
 月森は嬉しそうに微かに笑って、の頭を自分の方へ引き寄せて大切なもののように優しく抱きしめた。
、今度は二人で何か演奏してみないか?」
「俺が?」
 突然の誘いに驚いて顔を上げれば、穏やかな月森の顔があって思わずまじまじと見つめてしまった。
 ピアノが少し弾ける程度の人間が月森ほどの演奏者と同じ曲をするのは難しいのではないか、足を引っ張るのではと思う反面、月森と同じ曲を合わせられたら楽しいだろうな思ってしまった。
「君だって練習していただろう?音楽室で」
「まさか聞いてたのか?!」
「人聞きが悪いだろう。聞こえたんだ。今の僕ならきっと君と合わせられると思う。考えてみてくれ」
 たった一回だけ音楽科の練習室を無断で借りた事があって、その際に弾いたのが愛の挨拶だった。
 だからリクエストしたときも納得したようだったのかと思い返せば、恥ずかしくて消え入りたくなる。
「蓮がいいなら」
「なら決まりだな」
 満足したように笑う月森はカッコよくて、思わず見惚れていると不意に顎を持ち上げられて上を向かされる。
「改めて誕生日おめでとう」
 甘い囁きと共に唇には優しい口付けと甘い抱擁が与えられた。

ー幕ー

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