I wish

 鬱蒼と生い茂る木々を前にため息をついていると、馬鹿にしたような烏の鳴き声がしてはがっくりと肩を落とした。

「……休みくれるって話だったのに。なんで元旦の今日なんだよ、晴明様の馬鹿。いくら俺が陰陽寮で下の陰陽学生だからって何でも頼み過ぎ」

 は軽く頭を振って気分を変えて、言われた場所を目指して目の前に広がる広大な山林に一歩足を踏み入れた。

 年末は特に貴族の祈祷などで忙しい陰陽寮の雑務に駆り出され、新年が来れば2、3日休んでもいいと言う許可が降りたのは昨日の大晦日の事。

 喜んで仕事に勤しんだというのに、今日になって安倍晴明から使いが来て北山に届けて欲しいという文を預かった。

 ただの文なら何もに頼まなくても良いのではと思ったが、『晴明様の命』の一点張りの安倍家の使いには断る術がなかった。

 結局が北山へ着いたのは夕刻で、さっさと文を渡して帰って休みを満喫したい一心だったのは言うまでもない。

 暫くしての目の前に小さな庵が見えて、は意を決して扉を叩いた。

「晴明殿の使いで参りましたと申します」

「開いている」

 聞いたことがあるような声で簡潔な答えが返ってきて、は小首を傾げたがこのままここに立っていても埒があかない。

 そっと扉を開けると見慣れた横顔が覗いて、はほっと息をついたと同時に相手が泰明だという驚きで声を出す事も忘れた。

?どうした。あがれ」

「あ、はい」

 泰明に勧められるまま床に上がり囲炉裏の火にあたると、きょろきょろと部屋の中を見渡した。

 特に何があるわけではないが、なんとなくこの庵には泰明の匂いがしている気がする。

 こうして二人きりになったのは何時振りだったかと思いながら泰明を見つめると、仕事が一段落したのか泰明がの隣に腰を下ろした。

 陰陽寮で姿は何度か見ていたが、話しかける余裕も無かった為に随分久しぶりに感じる。

「泰明、これ晴明様から預かった」

「仕事の時は呼び捨てにするなと言わなかったか」

「すみませんでした。泰明様」

 陰陽師である泰明は恋人ではあるが、それと同時に上司でもある。

 いつも気をつけているが二人きりになると、どうしても気が緩むのは仕方ないだろうと思うが目の前の泰明にはそんな言い訳は通用しない事を知っている。

 が言い直して目的の文を差し出すと、泰明は眉間に皺を寄せながら目を通したが大きなため息と同時に文をに返して来た。

「泰明様?」

「読んでみろ」

 不思議に思いながら文を開けば晴明の達筆な字で『流香君を2、3日貸し出すので三が日が終わったら陰陽寮に出社しなさい。あまり遊び過ぎないように』という一文が書いてあった。

 晴明に良いように使われた自分が悲しくなって泰明を見れば、嬉しそうに自分を見ている泰明がいて思わずは目を逸らした。

 表情が豊かな方ではないけれど、最近泰明が柔らかい顔をするようになった気がしてはいい傾向だと思う反面どう接していいやら困る事も多い。

 恋人という関係になって、随分時間が経つのに一向に慣れる気がしないのは一体何故だろう。

「お前がいたければ、いて構わないが」

 泰明の言葉には戸惑ったが、休みの間何をするとも決めていた訳でもなく二つ返事で泰明の庵にいる事を決めた。

「最近忙しすぎて会えなかったし。泰明は何か変わったこと無かった?」

「問題ない。ただお前に休みの間会えなくなると思ったら少し変な感じがした。いつもいるのがいないと調子が狂う」

 大きく伸びをして近状を聞けば予想していなかった答えで、は思わず泰明を見たが当の泰明は気にした様子もなく囲炉裏の火を見つめていた。

 当人を目の前にして会えないのが寂しいとは、泰明にしてみたら進歩だと思うが照れもせず淡々と言うのが泰明らしい気がした。

「俺も泰明に会えるとは思ってなかったからさ、嬉しい」

 言葉というのは難しい上に面倒なもので、感情を言葉で表現する事は至難の業だとも思う。

 だからこそ人は言葉で他人と分かり合いたいと思うし、分かり合おうと努力したりするのだろう。

 ちらりと泰明を見ればさらりと長い泰明の髪が目の前にあって、は手にとって感触を楽しんだ。

 さらりと流れる髪を弄られても、泰明は目線を遣しただけで嫌がる素振りを見せない。

 それほど心を許してくれていると思えば、の頬は自然と緩むのがわかった。

「何だ」

「いや?俺、泰明に好かれてるなぁって思ってさ」

 にやりと笑って言えば、何故か泰明は眉間に皺を寄せてを睨みつけてきた。

「何を言うのかと思えば、今更だな。そういえば新年には願い事をするのだろう?」

 泰明の口から願い事が出てくるとは思わなかったが、はそういえば今日は元旦だったと思い出した。

 一月一日という意識はあったが、もう頭からすっかり消えかけていたので泰明に新年の挨拶もしていない事も思い出す。

、これからも傍にいて欲しい」

「うん。これからも宜しく、泰明。あと開けましておめでとう」

 がそう笑いかけると泰明の顔にも笑みが浮かび、泰明はの手に自分の手を重ねた。

ー幕ー

Back