一緒に歩いて

 俊敏に街中を駆けている一匹の猫は優雅な動きでありながらスピードは早く、街行く民衆の中で彼に気付いた者は一人もいなかった。
 ただの猫ではなく悪魔だったからそれも当たり前で、唯一見えるとしたら同族くらいだと思う。
 優越感に浸りながら、は低く笑いながら目的の屋敷を目指して駆け抜けて、力強く両足を踏み出す。
 目的の人物は気配で大体の居場所がわかっているから、人間のように地図は必要がないのは便利だと自分でも思う。
 同じ悪魔でいつも何故か気に入らなくて、がちょっかいばかりかけていたセバスチャン・ミカエリスだ。
 彼が人間と契約をしている事は聞いていたが、会えなくなった彼にどうしても会いに行きたかった。
 住宅街を抜けて鬱蒼とした森に入ろうとしたところで、いきなり後ろから首を掴まれ小さい自分の身体が宙に浮いた。
 こんなことをするのは一人しかいない、そう思った瞬間顔がにやけそうになるのを必死に押し殺して鋭い眼光で相手を睨みつける。
「気配でまさかとは思いましたが……やはり君ですか」
「出会って早々嫌そうな顔をするの止めない?」
 眉間に皺を寄せての首根っこを掴んでいるセバスチャンは、以前と相変わらず黒い執事服に身を包みため息を漏らして、その柔らかい毛並の身体を優しく抱いた。
 いきなりファントムハイヴ家に程近い街に現れた自分と同等の悪魔の気配に、セバスチャンは警戒したが近づいてくるにつれてそれが知っているものだと気付いた。
 悪魔としての自我が目覚めてから後ろで文句を言いながら付いてくる可愛いが、いつからか気になり始めて恋しい存在に変わるまで時間はかからなかった。
 だが、契約者に呼ばれたからには答えずにはいられなくて、甘美な誘惑に負けて今はシエルに仕えている。
 の事は忘れたことはなかったが、もしシエルの意思に沿わなければ出会った時戦うこともあるかもしれない。
 そう思えば再会を喜ぶよりもこのまま逢わない方が良いかもしれないと思うようになったのも事実だった。
 黒い艶やかな毛並は相変わらずで、セバスチャンは人知れず笑みを浮かべて感触を確かめるように何度も撫でる。
「仕方ないでしょう。あまりこちらで知り合いに会いたくないんですよ。それより君は何をしに来たんですか?」
「お前に会いに。いきなりいなくなって、人間と契約したから驚いた。楽しくやってるみたいだな」
 拗ねるような言葉が口から零れてはしまったと思ったが、セバスチャンの方が一枚上手だった。
 首筋を撫でられて反射的に目を閉じて指の気持ち良さを感じていると、セバスチャンの唇がのものと軽く重なった。
 猫の姿だろうが関係なさそうなのがセバスチャンらしいが、は鼓動が五月蝿いくらい脈打つのを感じた。
「心臓、早くなりましたね?」
 意地悪く聞いてくるセバスチャンが嫌いで、しっぽで軽く叩いて抗議するとセバスチャンの顔に笑みが浮かんだ。
 嫌な予感がして逃げ出そうともがいても、しっかりと掴まれていて動かせなくなっているのが憎たらしいけれど離して欲しくないと思ってしまったのも自分で。
「離せ」
 鋭利な爪を出しながら言っても、セバスチャンは涼しい顔をして笑っているだけで離す気はないらしい。
「知っていましたか?尻尾って神経が通っていて一番敏感なんですよ」
 するりと尻の付け根から尻尾の先まで撫でられて、は背をびくりと震わせて全身の毛を逆立つのを感じた。
 こんな風に遊ばれたことはなくてただじゃれるだけだったはずなのに、セバスチャンが違うように見えて戸惑うが嫌ではないから余計どうしていいかわからない自分がいる。
 じっと琥珀色の瞳でが見つめると、ふっとセバスチャンが微笑んでぴんと立ち上がっている耳をそっと指で撫でた。
「君は変わりましたね。以前ならぎゃんぎゃん騒いで大人しく腕の中にいた事はなかったんですが」
「お前は変わらないよな。俺が後をついて回っていた頃だって俺の事知らぬ顔していただろ」
 ぴょこぴょこと耳を動かしながら呟くと、聞こえなかったのか小首を傾げながら顔をの前に近づけて笑顔を向けた。
 前からセバスチャンの笑顔には勝てたためしがなくて、何を言っても笑って誤魔化されている気がして仕方がない。だからいつからかセバスチャンの笑顔は苦手なものの一つになってしまった。
「……なんだよ」
「いいえ?可愛いなと思っていただけですよ。知っていましたか?私は貴方が好きで仕方ないんですよ」
 にこりと背筋の凍る笑みを浮かべながら、セバスチャンが何か口元で呟くといきなりの姿は猫から本来の人間に近い姿に戻ってしまった。
 の本当の姿の背はセバスチャンの肩くらいまでしかなくて、顔を見るには見上げなくてはいけなかった。
「なっ……」
「まぁ個人的には猫も好きですが、人になってくれないと色々不便なんですよ。色々とね」
「俺は不便じゃない」
 もともとは猫の姿ではなくセバスチャンと同じ人間に近い姿だったが、走るのに楽なのとセバスチャンが猫好きなのを知っているからこの姿になっていた。
 悪魔としての力の差なのか簡単にセバスチャンには解かれてしまうが、も魔力が低いわけではない。
「そうですか……では、行きましょうか」
 そう呟くと、そっとの手を取り新緑の中へと足を踏み出す。
「どこへさ」
「私の部屋へですよ。まぁ嫌だといわれても今更離せるわけがありませんし。そういえば知ってます?人間界では飛んで火にいる夏の虫っていう言葉があるらしいですよ?」
「っ、どうせ馬鹿だよ」
「まぁ、馬鹿な子ほど可愛いって言いますしね」
 そう呟いた唇は意地悪く笑みを浮かべ、の唇にそっと重なった。

ー幕ー

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