暖かな日差しに、涼しい風。 手入れのされた庭の一角で、は惰眠を貪っていた。 番犬の番犬とはいえ、日がな一日狩りをしているわけでもないし、ヴィンセントの方が貴族の集まりなどに参加している分、の仕事はほとんどない。 ヴィンセントは寝っ転がっていたに、これ見よがしにぶつぶつと恨み事を漏らしていたが、は何時も通り寝たふりを決め込んで無視した。 「!!」 遠くから聞こえた声に、一瞬逃げようかどうしようか迷ったが、動くのが面倒なのでそのまま薄眼を開けた。 こちらの走り寄って来るのは、ヴィンセントの一人息子であり、若干天敵と化しているシエルである。 邪険にすればヴィンセントがうるさいので、ある程度構ってやっているが、かといって不用意に気にかければそれはそれでヴィンセントが薄ら寒い笑顔を浮かべるので、距離感が難しいのだ。 以前人間の姿でシエルの介抱をしてやった事を、未だに根に持っているらしい。 息子に妬くのは父親としても大人としてもどうかとは思うが、にとっては面倒な事には変わりない。 「はいっ」 ばらばらと頭の上に降ってきたのは、小さなバラの花だった。 この屋敷には様々な品種の色とりどりのバラがあるが、シエルが持ってきたのは赤のバラばかりだ。 ここに来るまでの途中で、庭師が手入れの為にバラを切っていたので、まだ綺麗な花を貰いうけてきたのだろう。 それにしても、手入れをしていたのは赤だけではないと言うのに、何故この色なのかとシエルを見つめる。 別にシエルの答えが欲しいわけではないし、言葉をそもそも話さないのだが、シエルは無邪気に理由を教えてくれた。 「は赤が似合うと思って」 シエルはこちらの反応など最初から期待などしていなかったのだろう、ばら撒くだけばら撒いてまた走って行ってしまった。 「どうしろと……」 別に子供のやる事だから、意味などないのだろう。 ただ、綺麗な花の薔薇が落ちていて、勿体ないので拾っていたら赤のバラが自分に似合うかもしれないので持ってきた。 男が女性に贈ったりするのとは違う、その時に思いついた行動をしただけだ。 だから、他意などあるはずがないのに。 「これはこれは……」 含み笑いと共に掛けられた声に、は溜息をついて人姿を取る。 「随分と面白い組み合わせだね」 完全に面白がる口調に、も薄く笑う。 頭の上に乗っていた花を摘まみ、口元に持って行く。 「面白いとは失礼だな、バラの美しさと香りは人惑わす、これほどまでに似合いの花はないだろう?」 普通の人間が言えば、笑い草にしかならないセリフも、が言えばなんとも蠱惑な響きを持つ。 今でこそバラの花はこうして貴族の間でも育てることが出来るようになったが、かつてはが言うように人を惑わす物として、教会側から栽培を禁止された時代もあった。 「にしても、どういう風の吹きまわしかな」 「御子息にプロポーズされたのさ」 その言葉に今まで笑っていたヴィンセントの表情が引きつる。 「シエルか……」 「あ、言っておくけど、この姿は見せてない。けど、あの日の一件以来随分と懐かれてさ」 この前、喘息の発作を起こした時に、一時的にがシエルを助けた事がある。 とはいえ、この人の姿は見せていないのだろうが、それでもシエルはこれまでにも増して、を構いたがる。 これまでは普段なかなか時間がなくて構えないヴィンセントがいる時には、こちらにべったりだったと言うのに、今ではとべったりしていて正直面白くない。 「『貴方を愛します』ね……」 先ほどのプロポーズと言うのは、バラの花言葉を意味しているのだろう。 シエルが花言葉なんて知っているとも思えないが、父親としては何とも言えない気分になる。 「親父ときたら嫁がいながら他の女にちょっかい出したり、飼い犬に餌をやらない甲斐性なしだからな。それに比べたら息子は随分紳士だ」 「お前にそんな趣味があるとは思わなかったね」 軽い調子で言うの言葉に、自分でも思いもよらない不機嫌な声で返す。 そんなヴィンセントに、僅かに驚いたようにが目を見開いた。 「何、妬いてんのか?」 逆に喜ばせる結果となって、ヴィンセントは先ほどの苛立ちも忘れてはぁと溜息をつく。 悪魔には何を言っても通じないのは今さらだ。 開いていた距離を縮め、の頭に乗った花弁を払い、ついで口元に寄せている花を摘まんで投げ捨てる。 そして、僅かに驚いた顔をしたを引き寄せ、唇を奪った。 「お前は……」 「アンタのモノさ。ご主人様」 ヴィンセントの言葉にかぶせて、悪魔は嗤う。 最初は使ってやるつもりで悪魔と契約したが、まんまと悪魔の罠に嵌まっている。 危機感を持つべきところなのかもしれないが、逆にそれでも良いかと考えてしまうから不思議だ。 否、そんな考えを持つこと自体が、悪魔の力なのかもしれない。 目を細めて舌を受け入れるを見つめながら、ヴィンセントは薄らと嗤った。 ー幕ー |