世界の終焉まで

 夜の路地をゆっくりとした速度で進んでゆく。

 月が出ていない新月の夜は、明かりが無ければ真の闇に包まれているが、の目には朧にその輪郭が捉えることができる。

 日本は他のどんな国よりも、危険な場所だ。

 鎖国を続けてきた故か、この国の九割がアクマで占められている。

 レベル3のアクマが日々跋扈し、殺人本能を発散するべくアクマ同士で共食いが行われる。

 強いモノが生き残れる、そんな場所だ。

 途中、何匹ものアクマとすれ違ったが、完全に気配を断ち、闇と同化するように暗がりを歩くには気づいていない。

 レベル3のアクマぐらいなら倒す自信はあるが、一度戦闘ともなれば匂いを嗅ぎ付けて他のアクマが集って来る。

 余計な力をここで浪費するわけには行かなかった。

 そっと、路地を曲がろうとしたところで、その先に誰かの気配があるのに気づく。

 注意深く探れば相手はアクマで、数は一匹。

 こちらに気づくようであれば、相手が声をあげる前に片を付ける必要がある。

っちょ?」

 密やかに聞こえた声に、はイノセンスに伸ばした手を降ろし、そっと壁から覗くと、着物を纏う跳ねた髪の女が立っていた。

「クロスの改造アクマか」

「そうだっちょ。マリアンに案内を頼まれてるっちょ」

 二人で他のアクマに気づかれないように、そっと路地を抜け闇を進んでゆく。

 着いた先は伝統的な日本家屋で、玄関ではなく庭へ回ると何匹かの鶏が歩いていた。

「よう、久しぶりだな」

 縁側に座るその人は、間違いなくクロス・マリアンで、ワイングラスを片手にを迎えた。

「久しぶりだな、クロス」

 案内をしてくれた改造アクマが席を外し、は縁側に腰掛け、一息ついた。

 クロスがいるここならば、多少警戒せずとも安全できる。

「相変わらず美人だな

「お前は相変わらず酒好きだな。弟子が血眼になって探してるぞ」

 の背に流している髪を遊びながら、クロスは笑う。

 差し出された飲みかけのワインが入ったグラスを受け取ると、はそれに口を付けた。

 こんな閉鎖された島国で手に入ると思えない、高級なワインを傾けながら、は眉根を寄せる。

 クロスが乗った船が襲われ、毒の海が広がっていたという話を聞いていた。 聞いたときには肝を冷やしたものだが、タイミング良く改造アクマがの元にやって来たのだ。

 そのアクマは、日本について直ぐに殺人衝動を抑えられず、自爆前にのイノセンスによって破壊された。

 ここに来るまでの経緯を思い出し、色々言ってやりたいことは山ほどあるが、言ったところで相手に伝わらないのならば無駄な体力を使わないに限る。

「そんな顔するな美人が台無しになる。人生は楽しまないと損するぜ」

 にやりと笑ったクロスに、はため息をついた。

「お前は謳歌し過ぎだろう。それで、『方舟』はどうだ」

 新たに注いだワインを傾けながら、クロスは少しだけ真面目な顔になる。

「今、デブとノアが作ってるさ。馬鹿弟子達が来るころにダウンロード開始ってところだな」

 目下、一番の問題は奏者の資格を持つアレンのイノセンスである。

 ノアにイノセンスを一度は破壊されたが、完全に破壊されたのではなく、粒子状となって留まり、現在はアレンとシンクロの調整をしている最中である。

 自身の改造ゴーレムで、本部と支部の連絡を傍受してはその事を知ったが、あまりイノセンスとの融合は芳しくないらしい。

 とはいえ、心配したところでこちらがどうこう出来る問題ではないく、クロスのほどでないにせよ気楽に構えていた方が楽だ。

 アレンがイノセンスを使いこなせたとしても、全てがうまくいくとも限らないのだから。

「さて、まだ役者は揃ってないし、付き合えよ」

 ぐいっと腰を引き寄せられ、はあからさまにため息をつく。

 道理で早い呼び出しだと思ったら、そちらが目的であったらしい。

 とはいえ、久々に会って余韻に浸るまでも無くいきなりそれだと、呆れを通り越して寧ろ尊敬する。

 いまさら雰囲気だのを気にする間柄ではないが、つい先ほどこちらに着いたばかりのを休ませる気はさらさら無いらしい。

「お前はそれしかないのか」

 口ではそう言いつつ、はクロスの眼鏡をそっと外す。それが合図のように顎を持ち上げられ、荒々しい口付けを受けた。

 片腕を伸ばして割れないようになるべく遠くに眼鏡を置くと、伸ばした腕を捕らえられ、畳に押さえつけられる。

 飲み込みきれなかった唾液が顎を伝い、ようやく開放されるとつうっと銀糸が舌を繋ぐ。

 荒い息を吐き出しながらはクロスと見つめ合う。

 嘆息しつつもようやく、傍にいられる事に安堵する自分がいるのは事実で少し悔しい。

 自由な片手をクロスの背に回すと、襟元を広げられ口付けが落とされる。

 は目を閉じ、その身をゆだねた。

 世界の終焉が近い。

 その終焉を防ぐのに、一人の少年に背負わせようとしているのに、何もできないとはいえ、安穏としていて良いのかともう一人の自分が言う。

 それでも今、手の届くところにある温もりを手放すことはできない。

 ゆっくりと目を開けると、クロス越しに世界を飲み込むかのように赤い大きな月が夜空に浮かんでいた。

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