起きたら

 本当に全くの偶然だった。
 互いに放浪し、目的地も教えず一定の場所にも留まらない。
 改造した無線ゴーレムで連絡は取れるが、連絡もせずにこうして出会うなどまさに、これまでなかった事だ。
 ふらりと立ち寄った繁華街で、漆黒のその姿を見た時には、一瞬教団の物かと思って面倒だと思ったが、纏わりつく改造ゴーレムをみて間違いないと確信した。
 半分浮かれて、足早に近づいたところでふと違和感に気づく。
 。イノセンスを扱うエクソシストだが、教団に属さずに一人でアクマと戦っている。
 どのような場所でアクマに狙われるか解らず、日常的に悪魔とやりあっているにしては、随分無防備だった。
 とんとんと、肩を叩くとびくりと体を強張らせ、は驚いたように振り返る。
 振り向きざまに、肩に触れていた手を払おうとしたの手首を掴み、腰に手を回して顔を覗きこむ。
 驚いた顔を浮かべていただったが、クロスの顔を三秒ほど見つめ、身体の強張りをゆっくりと解いた。
「……驚かすな……」
「お前こそ、随分と……」
 言いかけて、酷くの顔色が悪い事に気づく。
「良いから離せ、往来の真中で……」
 の言葉に、クロスはとりあえずの腕を掴んで歩きだす。
 人がこれだけ多ければアクマが紛れ込んでいる可能性も高く、余計な邪魔が入る前に場所を移動した方がいい。
 一本路地の奥に進むと大通りと違って人の姿もなく、日も陰っている。
 ようやくの手を離し、そっとマリアを召喚してクロスとの姿を一時的に隠す。
 これで一切の邪魔が入らないので、改めての顎に手を掛けて上を向かせた。
「お前は……会うなり一体なんだ」
 普段と違う掠れた声と、ぼんやりとした瞳に高い体温。
 普段の悪態も今日ばかりは弱弱しく、クロスは舌打ちする。
「風邪か?」
 はゆるゆると首を横に振った。
「何でもない」
「それで何でもないって良く言えるな。今ならレベル1のアクマにも背後を取られるぞ」
 確実に体温が高く、熱がある証拠だ。
 ここに逗留する気はなかったが、このままを放って置く事はせず、クロスはを抱え上げて歩き始めた。


 幸い、傍にホテルがあり一番良い部屋を頼む事が出来た。
 クロスはマリアの能力もある為にあまり気にせず宿に泊まるが、アクマとの戦いで巻き添えを出さないために、あまりどこかに泊まりたがらずに野宿が多いらしい。
 ホテルに着いた時にも、首を横に振って手を払おうとしていたが、そこは無視して部屋に押し込む。
 歩いている途中から大分息も荒く、良くこんな状態であんな人ごみ歩いていたと感心するとともに、アクマに見つかった時の事を思うと背筋が冷える。
「大体お前も、自分の体調を自覚してんのか?」
 クロスはつい強い口調になり、は眉根を寄せた。
「己の身ぐらいどうにでもなるさ、これまでもずっとそうして来たのは知っているだろう」
 あまり意固地にさせてしまうと良くない事を解っていながら、クロスは言葉をつづけた。
「その状態で言われても、説得力がないな。俺が見つけなければ今日どうするつもりだったんだ」
「お前に言われずとも……」
 言いかけて、の身がずるりと崩れる。
 慌てて抱きとめると、先ほどよりまた体温が上がったらしい。
 これ以上を責めても余計な体力を使わせるだけなので、抱き上げて布団の上に横にさせる。
 もう抵抗するほどの力もないのか、はぐったりとベットに体を預けた。
 とりあえず服を脱がせにかかり、ふと濡れた感触に眉を顰めた。
 黒い装束で解らなかったが、鼻に着く錆の香りは間違いなく血だ。
「動かすぞ」
 軽く声を掛けて、上着とシャツを袖から外させる。
 見ると脇腹に血のにじんだ包帯が些か乱暴に巻かれ、あまり手当がされてない事が見て取れる。
 顔色が悪いのは、大分出血したからだろう。
 とりあえず、冷えないように毛布だけ掛け、クロスは支配人に簡単に包帯と薬を持ってくるように指示する。
 上客の要望に直ぐに部屋に包帯やら薬などを取って来させ、まずは傷口に巻かれた包帯を取る
。  傷の状態を確かめると、出血はもう止まっているが、酷く深く良くこれで歩いていられたと感心する物だ。
 は寄生型のイノセンスを抱えている為、直りは早いだろうがそれでも限度という物がある。
 縫うほどではないと判断し、消毒液を含ませたガーゼで傷を拭い、新しいガーゼを当てて上から包帯を巻く。
 はその間、身じろぎ一つせず、目の上に己の手の香を乗せて荒い息をついている。
 手の御蔭で顔は見えないが、まだ意識はあるものとみて耳元に声を落とす。
「痛むか?」
 はゆるゆると首を横に振ったが、それは恐らくもう感覚がないのだろう。
 軽くため息をつくと、はびくりと体を強張らせた。
「……悪かった……」
 弱弱しく掠れた声に、クロスはがしがしと頭を掻く。
「別に怒ってねぇさ」
 そっと手を掴むと抵抗なく、隠していた手が除けられる。
 不安そうに揺れる瞳を覗きこみ、ゆっくりと額に手を乗せてやると、クロスの手が冷たくて心地よいのか幾分表情が緩む。
「あんまり無理するな。無線ゴーレムで呼べば何処に居たって来てやるから」
「随分と、優しい事を言う」
「お前だけな。バカ弟子とかなら野たれ死のそうだって手を貸してやらねぇが」
 ようやく、ふわりと笑みを見せたに、クロスも笑みを浮かべる。
 手当の為に退けておいた毛布をの体に掛けて、痛み止めの薬を口に含み、の口の中へ水と共に流し込む。
 細い喉が上下に動いて飲み込んだのを確認し、頭を撫でてやれば直ぐに安らかな寝息が聞こえ始める。
「マリア、子守唄を頼む」
 クロスの言葉に、マリアは歌を歌い始める。
 今だけは聖母の加護でゆっくりとが休めるように、せめて夢ぐらいは良い夢が見られるように。
 美しい歌を聞きながら、クロスは窓枠に腰かけて煙草に火を付ける。
 が動けるようになるまでは、こうして傍についてやるつもりだ。
 なかなか、こうして二人で過ごす時間はこの先あるとも限らない。
 できれば起きていて欲しいきもするが、こうして弱っている姿を見せるのも自分だけだと思えば悪くない。それに病人に手を出すほど、そんなにがっついているわけでもなし。
「起きてからだな……」
 口元に笑みを浮かべ、空に向けて煙を吐き出す。

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