眠りを覚ます

 眩しさに目が眩む。
 一面の白い色にこれまで見えていた、深い闇が塗りつぶされてゆく。
 そして、光を感じるのと同時に、暖かいと感じた。
 感覚がなくなるほど、体が冷たくなっていたのだと気づく。
 だが、それと同時にずんと己の背後から沸き起こる凄まじいほどの邪気を感じた。
 そこではっと靄が買っていた意識がはっきりとする。
 これまでの闇があった理由、それは何匹もの妖怪を己の身と共に封じていたからだ。
 なかった光が現れた理由、それは何らかの理由でその封印が解けると言う事だ。
「……ならぬ……」
 外へ吹き出ようとする邪気を無理やり押さえつけようとしたが、身体全身に力が入らず、轟という音と共に外へ投げ出された。
「かはっ……」
 邪気の奔流を背後からにまともに受けて、息が詰まる。
 眼前に迫る地面に叩きつけられる寸前で、ぐいっと何者かに腕を引かれて、予想した衝撃が襲う事はなかった。
 まだ朦朧とする意識で、腕を掴む物を見ると、眩いほどの白が飛び込んでくる。
 顔こそは良く解らなかったが、発せられる妖気で、自分でもあまり意識せずに言葉が滑り出た。
「お館様……」
 何かを言われた気がしたが、ぶつりと意識が途切れた。


 ぐったりとした体を抱え上げ、とんと地面をひと蹴りして離れたところに居るりんと竜の傍に横たえる。
 ついでに結界代わりに、りんに天生牙を放り投げると、慌てた様子でよろけながらも礼を言ってそれを受け取った。
 それからあとは吹き出て来る数多の妖怪を見据え、闘鬼神を抜き放った。



 数日前からカタカタと煩わしく騒いでいた天生牙が、徐々に鳴動が大きくなった。
 じっと小さく鳴動を続ける刀を睨むも、刀自身は口も持たず震える以外の意思表示はない。
 その癖、震えは止むことなく、ただただこちらに何かを訴えるかのようだ。
 正直、父から残された刀とはいえ、正直扱いが面倒なことこの上ない。
 第一、刀というのは戦う為、すなわち殺す為の武器である。
 それが死者を蘇らせる為だけの刀では、戦闘に置いては一切役に立たない。
 捨てて惜しい刀ではないが、父の牙から作られた刀というのは紛れもない事実で、とりあえずこうして持ち歩いているのだが、放って置くのも面倒になり、結局原因を突き止めたところでここに辿りついた。
 巨大な崖に埋め込まれたこれまた巨大な岩。
 どろどろと足元から這い上がってきそうなほど、邪気は凄まじいもので、周囲の植物も枯れてしまっている。
 邪気が漏れる巨大な岩にはべたべたと札が貼られているが、こうして見ている間にもぶすぶすと煙をあげて札が焦げてゆく。
 この場所には覚えはないが、この札には見覚えがあった。


 ――


 人でありながら妖怪へと化生したその者は、名をといった。
 周りの妖怪たちはあまり良い顔をしない者も居たが、妖怪として生を受けた者とひけを取らぬほど、妖力がとても強く父からの信頼も厚かった。
 彼は人であった時に霊力を持っていた為に、化生しても僧侶のように札を使う事が出来た。
 他の妖怪ではあまり見ない戦法の為、興味深く何度か見た事がある。
 父の死ぬ原因となった竜骨精との戦いにも参加し、相当な深手を負ったと聞いていたが、その後の消息はまったく聞いたことがなかった。
 ここまで天生牙が呼ぶ理由も多少気になり、殺生丸は呆気なく岩の封印を解いた。
 あっさりと両断された岩から大量に妖気が吹きつけられる。そして、妖気押し出されるように、華奢な人影がゆらりと現れた。


 吹きだして来た妖怪は割と手こずることなく片付いた。
 りんの元へ戻れば、意識のないのことをしきりに気にして汗を拭いたりしている。
「殺生丸様、この方は……」
 殺生丸も昔の事で姿などはうろ覚えであったが、邪見にも覚えは多少あるようだった。
 長い黒髪に白い肌。
 整った顔立ちだが、尖った耳と長い爪で人ならざる物だと言う事が解る。
 いきさつは知らないが、恐らくあの妖怪たちを封じたのは竜骨精との戦いの直ぐ後だろう。消耗した力でなおあれだけの妖怪を一手に封じたという事には興味があった。
「この人、大丈夫かなぁ」
「この方は人ではない。この程度で死ぬものか」
「でも体も冷たいよ。殺生丸様も冷たいけど、氷みたい」
 ああでもないこうでもない言うりんと邪見を無視して、殺生丸はピクリとも動かないの体を抱き上げる。
「ゆくぞ」
 邪見が何か驚いたようにぱくぱくと口を動かしていたが、りんは素直に「はーい」と双頭の竜の経にまたがった。

 薄らと意識が浮上する。
 体は鉛のように重たいが、魂までも鎖で戒められるような、息苦しさはもうない。
 だが、瞼を開けるのにも大分苦労した。
 何度か瞬きをしてゆっくりと瞼を開けると、月の光が淡く穏やかな闇を照らす。
「起きたか」
 その声に、がそちらを向くと、眩い白銀の姿がそこにある。
 一瞬主かとも思ったが、既に自分が眠る前にその死を伝えられたことを思い出す。
「わからぬか」
 問われて、記憶にあるよりも成長し、主に似た面影を見つめる。
「殺生丸様……」
 そう直接何度も話した事はないが、その姿を忘れるわけがなかった。
 彼は大切な主の、大切な御子だ。
 寝転がったままなのに気付いて起き上がろうとしたが、全身が軋むように痛んだ。
「そのままで構わぬ」
 氷のように冷たい物良いだが、記憶にあるのと変わらぬ物言いがやけに懐かしい。
「このままの体勢で失礼致します。お手間をお掛けしてしまいました」
 当然、封印が解けたのだから、一緒に封じていた妖怪など殺生丸が一掃したに違いない。
「お館様が亡くなられてから、随分経ちましたか」
「二百ほどだ」
 それだけ自分は眠っていたのか、と思うと同時に、まだ自分の中では竜骨精と戦ったのがちょっと前の感覚である為、それだけ時間が経ってしまったことに寂しさを覚えた。
 そして、ぼんやりとした頭でこれからの事を考える。
 封印が解けたはいいが、当面は妖力も体力も蓄えなくてはならない。
 かといって、これからどうするかすらまだ決まっていない。
 お館様の力強さに惚れこんで、腹心の部下になったは良いが、当の主が死んでしまってはこれからの目的が見いだせない。
「共に来い」
 言われてはたと顔を上げると、冷たくも美しい金の瞳がこちらを見据えている。

『俺と共に来い』

 かつて同じ言葉を、主に言われたのを思い出す。
 人から化生したは、強い力を持ちながらも行くあてなどなかった。
 とはいえ、死ぬに死に切れずにいたところ、たまたま出会ったのが主だった。
 その時の美しさと力強さに圧倒され、迷うことなく出された手を取った。
 殺生丸は昔から馴合いを嫌い、主の部下とも距離を置いていたのを知っている。
 そんな彼が何故、自分を誘うのか。
 だが、そんなことよりも自分を必要としてくれているのが純粋に嬉しい。
「殺生丸様が望まれるのであれば」
 出来る事なら、膝をついて頭を垂れたかったが、いかんせん体が動かないので情けないが、寝転がったまま頷いた。
「落ちた力を戻すのには時間が掛るか……」
「そうですね……封印直後も竜骨精の戦いで大分力も尽きていましたので」
 ただでさえ半死半生状態だったが、主がいなくなった後で別勢力の妖怪による襲撃を受けた。
 膨大な数の妖怪を倒すことは難しく、己の身と共に封じるのがやっとだったのだ。
 そんな状態を今も引きずっているので、何とも情けない。
 と、離れた木の根に座っていた殺生丸が、するりとの傍らに膝をついた。
「少し動かす」
 どの道自力では動けないので、任せていると存外に優しく、ゆっくりと上体を起こされた。
「苦しくはないか」
「えぇ、大丈夫です」
 答えると、じっとこちらを見る視線とぶつかる。
「そのままにしていろ」
 何事かとそのままにしていると、端麗な顔が近づき、口付けが落とされる。
 ぬめりと入り込む舌と共に、膨大な妖気が体に注ぎ込まれた。
 直接送り込まれる妖気は外に漏れ出すことなく、寝ている他の者たちや妖怪に知られる事はない。
 完全ではないが、妖力は回復したので一気に肉体的な疲労は少し軽減された。
「ありがとうございます」
 殺生丸の腕が片腕なのは先ほど気付いたので、これ以上彼の負担にならないように、何とか自分の力で座ろうとしたが、先に背を支えていた腕が無くなってぐらりと体が傾ぐ。
 そのまま地面に倒れ込むかと思ったが、もふもふとした柔らかな感触に包まれる。
「寝ていろ」
 それは殺生丸が身に付ける毛皮であり、大層肌触りが良い。
「ありがとうございます」
 またすぐに眠気が襲ってきて、きちんと礼を言いたいのに上手く伝わったか解らない。
 久々に、暖かな場所で眠りに落ちた。

Back