業の炎

「死炎と聞きましたが……随分と美しい炎ですね」
 ほうと感嘆の息と共に呟かれた声に、ジョットは思わず目を見開いた。
 先ほどの呟きを漏らしたのは、名を と言う。
 ジョット同じように、と言う日本でも力のある組織を創り上げた若きボスだ。
 同じファミリーであり日本人である朝利雨月を通して知り合い、何度か手紙でのやり取りを交わして、ようやく今日会えたのだ。
 艶やかな黒髪を束ね、漆黒の瞳は深く何を考えているかは解らないが、酷く落ち着いた印象を与える。
 歳はジョットと同じはずだが、小柄なせいか幾分若いように見える。顔立ちがやはり西洋人とは違うからかもしれない。
 イタリアと日本は地理的にかなり離れている上、日本どちらかと言えば閉鎖的な国である。
 だが、ボンゴレもも成り立ちが似ていることや、互いの考えや思想などに似たものを感じ同盟を組むことになった。
 今は互いにあれこれ決めた盟約に付いて確認し合い、ジョットがサインと死炎印を、が花押を記したところだ。
 緊張と言うほどでもなかったが、それでもやはり重要な書面を交換するに辺り、僅かには気を張っていた。
 同盟が成立し、僅かに空気が緩んだところで先ほどの言葉をが徐につぶやいたのだ。
 他意はなく、純粋に思ったまま言っただけなのだろうが、ジョットは普段のように軽く流す事も出来なかった。
 そんなジョットの表情を見てどう思ったのか、は慌てたように頭を下げた。
「不躾な発言でしたね。失礼しました」
 心底済まなさそうに謝った相手に、ジョットは首を横に振った。
「いや、気にしないでくれ。あと、そんな改まった話し方をしなくてもいいだろう」
 ジョットはそう言ったが、はまだ少し気にしているようだ。
 正式文書である事の証である、死炎印はボンゴレのボスであるジョットのみが付ける事が出来る特殊な物だ。
 炎が燃えているようには見えるが、実際紙の上にあっても紙が燃える事はないし、触っても火傷をする事もない。
 今までも正式に手紙のやり取りはしてきたが、は初めて死炎印を見たのである。
 死ぬ気の炎と呼ばれる自身が編み出したそれは、人の力としては恐ろしく強大な力である。故に、揺るぎない力の象徴として尊敬されながらも、畏怖する者も多かった。
 だが――
「美しいという言葉は、初めてだな……」
 ぽつりと呟いた言葉はしっかりとの耳には届いていたようで、不思議そうに首を傾げた。
「済まない。やはり感覚が違うのかもしれないな」
 独特の文化を持つ日本人であるは、西洋人との感覚のずれを気にしているようだがそんなことはない。
 ジョットは顔をしかめたに緩く首を振って見せた。
「死ぬ気の炎とは言うが、火と言うとやはり良くないイメージがあるだろう?」
 もちろん、調理をするのに火は欠かせない物ではあるし、暖を取るにも灯りとしても欠かせない。
 だが、それと同時に火事や噴火など、死に関する恐ろしいイメージがあるのも事実だ。
 日本でもイタリアでも、概念は若干違うかもしれないが地獄などの絵には火がつきものだったりする。
 あまりこちらが多くの言葉を言わずとも、はこちらの言いたいことが解ったらしい。
 そういう意味では話していて疲れないし、やはり頭が良い人物である。
「確かに、そう言われると東西あまり変わりないのかもしれない」
 言いながら、は手に持った書類に灯る死炎印を見つめる。
 よほど気になるのか、僅かに小首を傾げなら見る姿は子供のようで微笑ましい。
「だが、火には浄化の意味もあるだろう? 聖火と言うのも聞くし、日本では護摩と言って自分の心の中にある煩悩や業に火をつけ焼き払う事も行う。不浄な物を清浄にすると考えれば、『美しい』という表現も有りかと思ったのだが……」
 自信なさげに若干語尾が小さくなったの言葉に、ジョット再びはっとした。
 マフィアは決して慈善集団ではなく、血を血で洗う血なまぐさい物である。ジョットはもちろん、戦うためだけにボンゴレを作ったわけではないが、これからボンゴレと言う組織が続く限り、死ぬ気の炎と共に『業』を背負わせることを憂いていた。
 だが、の言葉を聞くと、全てがそれで救われるわけではないにせよ、死ぬ気の炎で自分達の業ぐらい燃やす事も出来るのかもしれないとも思う。
 自分の代では無理かもしれないが、いずれそれを成せるボスもいるはずだ。
 また変なことを言ってしまったのかと、目を伏せてしまったにジョットは笑う。
「詫びる必要ない。むしろ感謝したいぐらいだ」
 は言霊という、言葉に関する術を扱う。
 いわゆる催眠術の様に、言葉によって人を操り、また自然まである程度操ることが出来るのだと言う。
 単なる催眠術よりも強固で、その力は恐れられていたが、の言霊というのは単にそれだけではない。
 言葉一つ取っても人の感情を左右させるもので、の何気ないことばひとつでこんなに救われた気分になる。これが本来の『言霊』の力なのかもしれない。
 晴れ晴れとしたジョットの表情に、はふわりと笑みを浮かべた。
 の心遣いに感謝するとともに、この表情が見られただけでも同盟を結んだ甲斐があったと一人頷く。
 もちろん、と言う家の力や利害の一致も同盟の理由だが、一番の理由はこの美しい当主との関係を強固にしたかったからだ。
 右腕にはもうばれていて、『下心で同盟なんて結ぶな』と怒られたが。

「そういえば、この炎は消えないのか?」
 の言葉にジョットは首を傾げる。
 普通の炎と違うから勝手が解らないのかもしれない。
「あぁ、普通に扱ってもらっても簡単に消える事はないし、燃え移る事もない」
 もちろん、元に移してあるのが紙なので水に付ければ紙が駄目になり、死炎印も消える事になるが。
 は「なるほど」、と頷きながらなおも興味深そうに死炎印を見つめている。
 よほどそれが気になるらしい。
 今までジョットの話は聞いていたようだが、視線の大半は死炎印に向けられていたことを思い出す。
「気に入ったのか?」
 聞けば、は素直に頷いた。
「非常に興味深いな。部下がいたら『子供じゃないのだから』、と窘められそうだが」
 今はこの応接室には、ジョットとしかいないので、うずうずした様子のに笑いながら提案してみる。
「見るか? 死ぬ気の炎を」
 は一瞬きょとんとした様子だったが、興味を惹かれたのか頷いた。
 ジョットは今まで外していたグローブを手に嵌め、強く手を握り込む。
 加減しているので常よりも大きくないが、それでも強い輝きを灯した炎が手を包み、額にも浮かび上がる。
 手を差し出すと火に対して恐れるよりも、触れてもいいのかと言うように目で問われる。
「お手をどうぞ」
 言えば、白く美しい手がそっと伸ばされる。
「不思議と、暖かいな」
 火に触れるという事は、それが本物でなかったとしても躊躇するものだが、はそんな素振りもない。
 幻覚ではないが、実態感のないその炎には目を輝かせている。
 そんなの様子を見ながら、業の炎もまんざらでもないと思う。
 確かに破壊の力だが、それは同時に大切な物を守るために振るう力でもある。
「これだけ喜んでもらえると、必死に修行して身に付けた甲斐があったな」
 冗談めかして言うと、もくすりと笑う。
「そうだ、これから出かけないか? 日本も素晴らしい国だが、美しい景色ならイタリアも負けてはいない。是非、見せたい景色もあるのだ」
 折角外も良い天気なのだし、日本とは違うイタリアの風景を見せてやりたいと思う。
「では部下に伝えて来なければ……」
「構わないさ」
 ジョットはにやりと笑った。
 はきょとんと首を傾げたが、重ねられている手を優しく引いてソファから立たせる。
「置き手紙ぐらいしておけば問題もないだろう。の人間はどうか知らないが、ボンゴレの守護者は付いて来るとうるさいからな」
 さらさらと片手でペンを走らせ、簡単に「外に出て来る」とだけ記す。
「だが、ボスが勝手にいなくなると心配するのでは?」
 やや心配げではあるが、もイタリア観光にも惹かれているようだ。
 ボスと言えば狙われる事もあるかもしれないが、ただやられるつもりもなければ、一人を守りきって見せる自信もある。
「死ぬ気の炎は、利用法によっては空も飛べるのでな。折角なのだから空中散歩も」
 言われて、はしばし迷ったのち、好奇心の方が勝ったらしく素直に頷いた。
 そうと決まれば、と窓を開け放ち、灯していた死ぬ気の炎の出力を上げる。
「しっかりつかまっていてくれ」
 の腰に手を回し、にはジョットの首に手を回すように指示を出す。
 軽やかに窓枠を蹴り、死ぬ気の零地点突破で二人の体が宙に舞い上がる。
「おいっっどこに行く気だ!!!!」
 その声にちらりと下を見れば、自分の右腕が青筋を浮かべていた。
「Ciao!」
 今さら降りると言う選択肢がないので、それだけ言ってさらに出力を上げる。
 一瞬、戻らなくて良いのかという表情を浮かべただが、直ぐにふわりと笑顔を浮かべる。
「これは凄いな……何時もこんな風に力を使っているのか?」
「まさか、今日は特別だ」
 右腕から逃げる時にも使っていたりするが、まぁここは事実を隠して答えるのが紳士というものだ。

 二人の眼下には青い海が、頭上には青い空が広がっていた。

ー幕ー

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