囚われたのは?

 張りつめた空気、肌に刺さるほどの殺気。

 はふっと相手に気づかれないように密かに溜息をついた。
 ここはある諜報機関で、はスパイとして潜入している。
 そして先ほどからずっと刺さるような視線を向けて来る相手は、この諜報機関のトップであり、名をアラウディという。
 はボンゴレファミリーの諜報担当であり、このたびボンゴレのボスであるジョットからアラウディを守護者にするべく調査を命じられているのだ。
 敵のファミリーだろうが、金持ちだろうが、聖職者だろうが、気に入った人間が入ればあの手この手で傍に置きたがるジョットの癖は今に始まった事ではない。
 だが、今回の相手ばかりは今までの相手と違うだけに、嵐の守護者であり幼馴染みであるGは、「節操無し」だのあらん限りの罵声を浴びせていた。
 だが、そんな言葉もどこ吹く風で、ジョットは何時もの如く「気に入ったのだから仕方ない」とのたまい、に諜報機関を諜報するという何とも難しい仕事を任せ……否、押し付けたのである。
 相手がいくら手ごわいとはいえ、もその手の仕事は何度も経験して来たので、入り込むまでは至極簡単に出来た。
 だが、入って間もなく、アラウディから直々に自分の元で働くようにという命令が出たのである。
 この命令は偶然ではなく、下っ端にばれなかったとはいえ、アラウディ自身はの正体を知っているのだろう。
 命令が下されてから、逃げるかボンゴレに応援を呼ぶか悩んだが、色々覚悟してアラウディの仕事部屋に出向いた。さて、拷問でもされるのか、それとも入った瞬間に殺されるか、あれこれ想定しながらノックしてドアを開けたが、思っていたような展開にはならず普通に書類整理の手伝いを命じられただけだった。
 だが、それから一時間以上経過した今も黙々と作業するにずっと、ピリピリとした殺気がずっと向けられている。
 アラウディは書類に視線を向けているが、絶えずこちらの動きを牽制しているようで、隙がない。
 これならば、出会いがしらに戦闘にでもなった方が大分マシだ。
 むしろこれ自体が拷問のつもりなのかもしれない。
 もう一度ふっと溜息をつく。
「つまらない?」
 こちらに視線を向けずに不意に投げかけられたアラウディの言葉に、は書類をまとめながらそつなく答える。
「いいえ、楽しいですよ十分」
 相手がどう取ったかは知らないが、実際自身は情報を扱う作業が得意であり、楽しいと感じる人間だ。
 作業は楽しくても、ここの空間が落ち着かないだけで。
 アラウディはふぅん、とこちらにちらりと視線を寄越して来る。
「今の状況を楽しめるとは、随分と余裕だね」
「楽しくても余裕があるとは限らないのですけどねぇ」
 肩をすくめ、は手に持っていた書類を机に戻し、アラウディと視線を合わせる。
 茶化したつもりはなかったが、アラウディはあからさまに顔をしかめた。
「それで、お使いはどこまで進んだのかな」
 その言葉から、がボンゴレの人間だとは分かっていても、目的までは解っていないらしい。
 まぁそれもそのはずで、事実は今までこれと言ってボンゴレと連絡を取っていないし、情報を盗み出してもいない。
 ただただ、まだ入ったばかりの新米として簡単な仕事のみをこなし、ジョットの言う人物像と実際のアラウディが同じであるかを確かめているだけだ。
 何か情報の一つでも盗み出していれば、アラウディとしても目的も解りやすい上に、何らかの手を下す事も出来たのだろう。
 先ほどからの殺気は、きっと目的が見えない事のいらだちがあるのだろう。
「それが有り難い事に、そろそろお使いが終わりそうなんですよ」
 今さら隠す必要もないし、ジョットからは好きなように行動し、最終的にボンゴレの橋渡しができれば良いと言われている。
 今この場ではもう上司と部下ではなく、ボンゴレの手先と諜報機関のトップである。
 先ほどよりも大分崩したが、すぐさま動けるように注意し、隙だけは作らないように意識する。
「ようやく化けの皮が剥がれたね」
 雰囲気の変わったに、アラウディは口元に笑みを乗せた。
「化けの皮なんてとんでもない。今でも貴方は私の上司ですよ? その関係は『今後』も変わらない」
 頭の切れるアラウディは、含みを持たせたの言葉にやはり違和感を覚えたようだ。
「先ほど言ったように、私のお使いはもう終わりそうなんです。私のお使いの『品』は貴方です」
 の言葉に、アラウディは眉ひとつ変えることはなかった。
 怒るなり落胆するなり困惑するなり、何かしらの反応があるかと思ったのだが、何もなくてちょっとつまらない。
「君、冗談もほどほどにしなよ」
 たっぷり3秒ほど経って、アラウディは先ほどよりも殺気を倍増させてを見据える。
「冗談なんてとんでもない。我らがドン・ボンゴレは貴方を欲している。人格、力、見た目、その他もろもろ、どこが気にいたのかは知らんが、是非来て欲しいのだそうな」
 銃弾の一発でも喰らうかと思ったが、アラウディはげっそりとしていた。
「君のボスは馬鹿なのかい?」
「いいや、頭は悪くない。性格や考え方は大層悪いが」
 は腰かけていた椅子から立ち上がった。
 アラウディと言う人物の観察と、ボンゴレに引き込むための橋渡しと言う役割は出来たのだから、もう任務は全うしている。
「書類も片付いたし、そろそろ本来の上司の元へ戻るとしますね。我らがドン・ボンゴレの話し合いに応じて頂ければ幸いです」
 では、とそのまま歩き出そうとしたところで、アラウディの動く気配がすると同時に、の体はぴたりと動きを止めた。
 素早く動いたアラウディが手錠を放ち、それはの手と椅子の肘かけを手錠で繋いだ。
 一瞬の早業に、油断していたわけでないにせよ、反応できなかった事に背中に冷や汗が流れ落ちる。
 その手錠は、片方が内側と外側に鋭い棘が付いておりそちらはひじ掛けに繋がり、もう一方の棘がない手錠はの手首に繋がっている。
 相手が狙って何も付いてない方をに嵌めたのだ。
 わざわざそんな事をするのは、の事を思ってなどではなく、こちらにはそれだけの実力と余裕があると言う事を知らしめるためであろう。
 というか、一般人よりは上であるが元々戦闘に関しては特出しているわけではないので、まともにやりあって勝てるはずはない。
 まぁジョットが引き抜きたいと目を付けていたのだし、諜報機関のトップと言うだけでも十分実力があるのは解っていたが、まさかここまでとは思わなかった。
「簡単に帰れると思ったの?」
「いいえ、そんな甘い方ではないと思っていました」
 椅子を引きずって逃げるわけにもいかないので、とりあえず降参とばかりに繋がれていない方の手を上げて見せた。
「気に入ったよ、君のその目」
 するりと今まで立っていた場所から、足音も立てずにの目の前にアラウディが立つ。
 くいっと顎を持ち上げられ、端正な顔がすぐ目の前にある。
 アラウディはの目が良いと言ったが、は目の前のアラウディの方がよっぽど美しい瞳をしていると思う。
 決して何物にも囚われない、強い意志を宿した瞳。
 自分の主であるジョットと違うようで良く似ている。
「やられるなら、なるべく楽な方法が良いのですけどね」
 死にたくはないが、裏の世界に足を突っ込んでいる以上、何時命を落とすかも解らないだけにある種の覚悟はできている。
 だが、ボンゴレは裏社会で幅を利かせており、そんなボンゴレを容易く敵に回すと考えにくい。
 つまるところ、一発殴られるなりするかもしれないが、この場でを殺すなどと言う愚行を起こす事はないだろう。
 なのでわざとおどけたように言ったのだが、つぅっとアラウディの口角が上がる。
 物すごく嫌な予感がよぎるが、残念なことにジョットほどの超直感がないと言うのに、自分の勘は良く当たる。
「楽に……ね」
「いや、言葉の文って物が……」
 の言葉は最後まで紡がれることなく、アラウディの口唇に呼吸を奪われる。
 ぬめりと侵入してくる舌を拒む事も出来ず、噛んでやろうにも上顎を撫でられてそれもままならない。
 手錠が繋がっているせいで体勢が不自然できつくなってきたところで、腰に腕を回されてさらに逃げ道がなくなる。
「っは……」
 ようやく解放され、酸素を求めて喘ぐと、口の端から流れた唾液を舐めとられる。
「このっ……」
 きっと睨んでみるが、アラウディは相変わらず人の悪い笑みを浮かべている。
「『楽に犯って欲しい』って言ってたでしょ」
「都合のいいように勝手に変換するんじゃねぇよ。そもそも今のどこが『楽』なのか説明しろ」
 酸欠状態で言いきった己を褒めてやりたいが、事態が改善するわけでもない。
「まぁ、窒息死は苦しいとは言うけど、水死よりは苦しくないと思うけどね」
 比べ方がおかしい上に、キスで窒息死なんて嫌な死に方すぎる。
 ボンゴレの歴史に『キスで殺された男がいた』などと残るのは嫌だ。
「ボンゴレの話に付き合ってあげてもいいよ」
 その言葉に、は目を見開く。
「気に入ったって言ったろう? 聞いてあげるよボンゴレの話を」
 ただし、とアラウディは目を細める。
「君を僕の部下として置くことが条件だ」
 守護者になるのではなく、話をすることの条件だけで自分の身を差し出さなければならないのは、随分とつりあいのとれない条件だ。
 だが、とりあえず今は自分の身が大事である。
 隙をついては自力で手錠を外し、窓から飛び降りる。
 アラウディが追って来る様子はなかったが、それでも全力で夜の街を走り抜けた。
 ねっとりと絡みついた舌の感覚が何時までも消えず、舌打ちする。
 そして、それも悪くないと思ってしまう自分にも苛立っていた。

 囚われた獲物は自分だったのかもしれない。

 ボンゴレに帰って一部を端折ってジョットに説明を終えると、ジョットは考え込むように指を組む。
 自分を過大評価するつもりはないが、の情報収集力はアラウディに引けを取らない。
 何だかんだ言って、守護者のように『立場』と言う物がないだけに、一番自由に動ける駒だと自負している。
 あっさりとアラウディに売られるようなことはないと信じたい。
 そのままジョットの様子を見守っていると、やがて決意したようにジョットはゆっくりと足を組んだ。
「解った、アラウディの条件を呑もう」
 きっぱりはっきりと言い切ったジョットに、は固まった。
「やはり、話をしない事には前には進まない」
「いやいや、話を進めたところで相手が守護者になるわけじゃねぇだろ。ってか、それは死ぬ気ハイパーモードで言っても全然これぽっちも威厳ねぇから!!!」
「大丈夫だ、アラウディならば守護者を受け入れてくれる。そのためにわざわざを……げほげほ」
「貴様、最初から俺を売る気でアラウディの所に行かせやがったな!!!」
 がたんと立ちあがったに、ジョットは涼しげな顔をして答える。
「お前随分地が出てきたな……主を貴様など呼ぶんじゃない。あれだ、尊い犠牲……」
「死ね!!」

 その日、ボンゴレボスの自室を中心とした半径10mほどの庭や部屋が壊滅した。

ー幕ー

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