狐の嫁入り

「おや……狐の嫁入りか」
 聞き慣れない言葉に、ジョットは首を傾げる。
 日本語を勉強したジョットは、おおよその日常生活に必要な言葉は既に習得しており、今のの言葉も解らなくはない。
 狐とはイタリアではVolpeと呼び、犬科の動物だ。
 嫁入りとは、結婚することではあるが、夫の家に妻が嫁ぐと言う事である。
 日本では一概に結婚とは言っても、嫁入りとか婿養子と分けて呼ぶ事もあるが、イタリアではどちらの家に入ると言う感覚がないため、ジョットにはあまりなじみがない。
 とはいえ、つまるところ狐の嫁入りは、字で読んでの如く、狐の雌が狐の雄と結婚し、雄の狐へ嫁ぐと言う事なのだろう。
 だが、人ならともかく、狐以外にも猫だとか犬だとかにも結婚制度があり、祝ったりするのだろうか。
 これまでそんな話は聞いたことがない為、首を傾げていると、はくすくすと笑った。
「あれの事さ」
 空を指差したにつられて空を見上げたジョットの目には、綺麗な青空が広がっている。
 ただし、空は青空ではあるのだが、先ほどからぽつぽつと雨が降っている。
 いわゆる天気雨だ。
「不思議な自然事象がおこると、日本では大抵妖怪などのせいだとされていて、こんな日が照っている時には狐が嫁入りするのだと言われているのさ」
 日本では、一つの物に対して複数の呼び名が存在する。
 雨一つとっても今の様な雨は、天気雨、日照り雨、狐の嫁入り、日向雨など色々な呼び名が存在する。
「なるほど……確かに、幻想的な光景ではあるな」
 雲が全くないわけではないが、切れ目から青空が覗き、さらに日の光が差し込んで来る。
「こんな天気の日に、嫁を迎えるとは……婿は幸せ者だな」
「まさか本気で信じているわけではなかろう」
 くすくすと笑うの手を取り、ジョットは白い手の甲にそっと口付けを落とす。
「折角、狐も結婚するのだから、お前も嫁に……いだっ」
 ぴんっと額を弾かれて、ジョットは呻く。
「奏上の家は既に後継ぎがいるとしても、私が嫁には行けぬだろう」
 幾ら、女顔と言われるでも、男であるのだし流石に無理があるだろう。
 ジョットは残念そうにしていたが、やがてぱっと表情を変える。
「ならば、婿養子に入ればよいのだな」
「いやいや、そういう問題では……」
 まぁいいや、と今さら突っ込むの面倒くさくなり、は放っておく事にする。
 ジョットの方いたって真剣に、白無垢にするかドレスにするかなどどうでもよい事を、ぶつぶつと呟いている。
 端と箸だとか雨と飴の発音などはイマイチ解っていないと言うのに、白無垢だの三三九度など日常会話としてあまり使わない言葉ばかり覚えているのだろうか。
「まぁに似合うだろうが、結婚なんてしなくても良いな」
 意外とあっさりと引いたジョットには首を傾げる。
 ジョットなら笑顔で白無垢ぐらい持って来そうなものだが、さほど結婚自体にそれほど執着はないらしい。
「意外と結婚に対する意識がなかったりするのか」
 夫婦の姓が違う事も一般的であるし、特別結婚自体にこだわりがないのかもしれない。
「そんな事はないが、これからの時を共に過ごせれば、別に婚姻する事もないだろう。それとも日本ではそれはできないか」
 深く慈愛の眼差しと、そっと重ねられた手には思わず息を呑む。

 これではまるで――――

 自分でも顔に熱が集まるのが解るが、顔を逸らそうにも下から覗きこまれては、他に顔も向けようがない。
「日本語は難しいが、今のを表すのに相応しい言葉を知っている」
 自信たっぷりに、意地悪そうなジョットに、は小さく何だと問いかける。

――紅葉ヲ散ラス

 どうだと言わんばかりの表情に、は溜息をつく。
「それは女性に使う物だ」
 ジョットは首を傾げ、最後に覚えておこうとだけ言った。
 何故狐の嫁入りの話からこんなの事になったのやら、と空を見上げると移り気な大空は、真っ赤にな夕焼けに染まっていた。

 明日も、良く晴れそうだ。

ー幕ー

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