来し方

 漆塗りの小さな匣と、無骨なデザインの指輪。
 そして、今しがた書き終えた手紙を一まとめにし、は息を付いた。
 風紀財団のアジトに今は雲雀は居ない。
 別に居合わせても良かったが、もしこれからの企みがばれたら、 本気でトンファーやハリネズミを出して暴れそうだ。
 もっとも、全てが済んだら一発位は覚悟しておいた方が良いだろうが。
 ツナと雲雀、そして入江によって進められているこの計画は、は当初入れ替わりの対象に入って居なかった。
 だが、ツナがわざわざ三浦ハルや笹川京子を巻き込んでいる覚悟に、は自分も入れ替わりに入る事を自ら提案した。
 最も、雲雀にはその事は伝えていない。
 だから、はこうして過去の自分が足でまといにならない様に、 大凡の状況と匣の使い方とこの世界での役割を書いた。
 この手紙が無ければ、女子二人組のように全く何も知らされないまま、 アジトから一歩も出ずに護られるだけの存在になりかねない。
 最も、昔の自分は大人しくして居ないだろうから、勝手に行動していそうな気もする。
 だが、ある程度の知識はあるに越した事はない。
 詳しくは書いていないので、後は自分がどうにかするだろう。
 やがて、ふわりと妙な空気に包まれる。
「恭弥はお前に任せた」
 ふっと、部屋に煙が沸き起こった。


 急に煙に包まれ、目を開けると見も知らぬ座敷に座っていた。
「なんだ……?」
 部屋は調度も少なく、殺風景だがそれでも生活感がある。
 第一、自分は自室にいたはずなのだが、何故こんな場所にいるのか。
 立ち上がって部屋の外に出ようとして、机に何か置いてあるのに気付く。
 小さな漆塗りの箱と指輪に、自分の筆跡で書かれた自分宛ての手紙。
 そっと手に取って開くと、そこには並「盛中2年の俺へ」と書かれていた。
 ミルフィオーレというマフィアの事や、リングと匣の関係性とその力の使い方。
 俄かには信じ難い内容に、何かの悪戯な気もする。
 とりあえず手紙と匣、指輪を持って部屋から出た。
 と、丁度こちらに向ってくる人物を見て、も驚いたが相手も驚いた。
さん……何故ここに」
「草壁か……案外冗談でもなさそうだ」
 見た目の歳が違うが間違いなく草壁だ。
 草壁は驚いた表情であったが、なんとなく事情は察したようだった。
 からも事情を説明すると、手紙を見せてほしいということであったので、素直に手紙を手渡す。
 さっと中を改めた草壁は僅かに溜息を付いた。
「恭さんが知ったら止められると解っていたのでしょうね」
「俺的には、まだここが十年後というのが信じられないんだが……」
 草壁がそれはそうだろうと頷く。
「ここに書いてある事は本当です。俄かには信じ難いとは思いますが」
 場所をまた部屋に戻し、草壁からさらに事情を聞くとツナや獄寺達もこちらにいるらしい。
 そして、最初に自分がいたこの部屋はの部屋なのだという。
 手紙には書かれていなかった事情を聞けば聞くほど、気の重くなるような世界の話だ。
 ともかく、これが終わらなければ元の世界に帰るのも無理だということは分かった。
「……にしてもあの雲雀を謀るとは、十年後の俺は大分食えなさそうだ」
 この手紙には、雲雀に黙って入れ替りをしたので、『キレたら黙って殴られろ』と書いてあった。
 だが、草壁が知ったらどうなるか、と頭を抱えている様子を見れば、殴るだけで済まされない気もする。
「とりあえず、着替えをお持ちします」
 丁度家に帰ったばかりだったので、今は並盛制服を着ているが何か問題があるのだろうか?
 のそんな様子をみて草壁は苦笑した。
「ここでは恭さんの意向で着物着用なんです」
 良くわからない拘りは、十年後でも相変わらずらしい。


 まだ雲雀は帰って来ないらしいので、は匣を開ける為に鍛錬する場所を借りる事にした。
 来たばかりなのだからもう少し後にしてはどうか、とも言われたが、逆に何かしていた方が気が紛れるので、大丈夫だと伝えた。
 ツナ達と一緒に打ち込んで見ては?とも進められたが、彼等も自分に精一杯だろうから、と遠慮して置いた。
 ついでに入れ替わりについても、黙ってて貰えるように草壁に頼む。
 自分はボンゴレファミリーではないから、十年後のの意志であっても彼等は気にしてしまうはずだ。
 それに、先に来ているツナ達はもうリングを使った戦いを既に行っているという。
 ボロボロに負けたと聞いたが、実践経験があるのとないのとでは大分違う。
 だから、まずは自分一人で出来ることから少しづつやってみようと思った。

 だが、最大の難関はこの匣が開くのかどうかだ。
 これが使えないとなれば、そもそも戦うだの協力するだの言ったところで何もできない。
 使い方は、鍛錬場に案内してもらう時に、草壁に聞いたが、なんとも心もとない。
 まずはリングを嵌めて意識を集中させる。
 そして、リングに火を灯す。この時には、絶対的な覚悟が必要になる。
 と言われたところで、の覚悟が難しい。
 貰ったアドバイスとしては、今一番大切なモノを思い浮かべると良いと言う。
 それは帰りたいと言う意志だったり、大切な人だったり、誰にも負けない強い思い。
 匣はまだ解明されていない部分も多く、使い方によっては暴走して持ち主にも危害が及ぶようなので、ここで間違えるとまず使いこなすのは難しい。
 なるべくなら前向きな物が良いだろうと、はまず何を目的にするかで悩んだが悩んだところで結局はやってみないと変わりはない。
 ふっと息をはいて、もう一度意識を集中させる。
 と、リングから淡い炎が立ち昇る。
 ゆらゆらと燃える火は、リングをしていない方の指で触っても熱くない。
 紫色の何とも不思議な色を湛え、ゆらゆらと揺らめいていた。
 まずはリングに火が灯ったことに安どしたが、まだまだこれでは序の口だ。
 ゆっくりと匣に開いている小さな穴にリングを押し付けると、ぱかんと軽い音と共に硬く閉じていた匣が開いた。
 そもそも開くかが不安だったのだが、匣は思ったよりも簡単に開いた。

 そして、ゆっくりと中から姿を表したのは蝶だった。

 ふわりと翅を動かして舞い上がると、のリングに止まり、翅を動かしている。
 凶暴な動物ならどうしようかと思っていたが、逆に拍子抜けした。
 自然と詰めていた息を吐き出すと、どっと汗が出た。
 まずは一番重要な匣を開ける事が出来た。
 だが、この蝶の使い方がさっぱり分からない。
 属性や出てきた生き物の形や習性によっても特性があるらしいが、昆虫に詳しくないにしてみたら蝶に何が出来ると言うのかさっぱり解らない。
 綺麗な翅を持っているが、戦闘向きとも思えず何とも心許ない。
 とは言え、十年後の自分が寄越して来たのだから何かしらの力があるはずだ。
「蝶、蝶……飛ぶとか花の蜜を吸うとか……かと言って花の蜜を吸ってもな」
 蝶の特性など、そのぐらいしかあまり思い浮かばない。
 そもそもこの蝶の種類だってさっぱりである。
 何処となく輪郭が朧げで、良く見ようと思って見ると、揚羽蝶の文様が見える気もするし、紋白蝶のような形に見えない事もない。
 飛ぶにしたって鳥ほど長距離が飛べるわけでもないだろうし、やはり解らない事だらけだ。
「まさか、花がないと能力が出せないとか言うなよ」
 いちいち、花を持って歩くわけにもいかないし、強い力を使うのにそれ相応の花が必要とか言われては、実に使い勝手が悪い。
 満開の花畑での戦闘など、そんなシチュエーションはこの先どんなに待ってもあり得ないだろう。
 まぁ、聞けば匣の生物は見た目こそ動物の姿だが、餌は要らず使用者の炎の力を糧にするという。
 中には匣生物を食らうのもいたり、食べ物を食べるのもいるらしいが。
 花でも用意してみるか、と思っていた所で、何もない地面からむくり、と何かが出てきた。
 何だ、と思う間もなく地面から出てきたそれはにょきにょきと長くなり、葉や蕾を付けると、一気に花開いた。
 先程頭に描いた、満開の花畑がそこにはあった。
 まさか、と花を触るとしっかりと本当の花である。
 試しに摘んで見ると、蝶はの手から花に移った。
 流石にこの鍛錬場に花の種が植えてあったなんて事はないし、最初から床は硬いタイル張りだったのだ。
 ならばと、は蝶を見つめた。
 もしかして、これが蝶の能力なのか。
 目を閉じて、今度は違う風景を思い浮かべる。
 ざぁっと、音が響き、目を開ければ広がる青空にさらさらと足の下で動く砂。
 時おり飛沫をあげて打ち寄せる波は、が想像した通りの海だ。
   手に握っていた先ほど摘んだ花はまだ手に残っているが、やはり蝶はの思い浮かべる風景を作り出しているらしい。
 直接戦った事はないものの、骸も人を惑わせる幻術に長けているという。
 幻術を使った戦い方などまだ分からないが、使い方によっては相当強い武器になるに違いない。
 素晴らしい能力で感嘆する反面、作り出す物は触ったり感触さえあるものの、全ては虚構に過ぎない。
 そうと思うと、何とも虚しい気がした。
 花に止まっていた蝶が、ふわりふわりと羽ばたき、の手に止まる。
 リングの上で蜜を吸うように、炎の上でじっとしていた。
「そろそろ止めておいた方がいい」
 姿を見ずとも、声で誰かは解る。
 聞き覚えがあるものよりは大分低いが、間違いなく雲雀のものだ。
 ゆっくりと振り返ると、随分背も高く、よりシャープな印象の雲雀がいた。
「霧のリングは体力も精神も消耗する。初めてにしては上々だけど、無理しない方が身の為だよ」
 素っ気ない言い方だが、案じてくれているのが解る。
 ゆっくりと、力を抜くと蝶はひらりと匣に収まり、海の風景や香りがさらさらと消えて行く。
 やはり、全ては幻なのだ。
 リングの炎が消え、雲雀がこちらに歩いてくる。
 そう言えば、未来の自分が黙って殴られろ、と書いていたのを思い出す。
 最も、自分が未来の自分と入れ替わる事は気に入らなくても、そうそういきなり殴ったりはしない気がする。
 今の自分と雲雀の関係がずっと続いていればの話だが。
「使い方もが?」
「手紙に大体の事は。後は黙って殴られてくれって」
 言うと、雲雀は溜息を付いた。
 が知っている雲雀の反応と違い、大分丸くなったらしい。
 十年も経てば、人も変わるわけで、自分も今の自分とは変わった所も多いだろう。
 の知っている雲雀だったら本気で殴る気はなくても、トンファーぐらいは取り出しているところだ。
 と、いきなり顎を持ち上げられる。
 急な事には瞬きを繰り返す。
「やっぱり幼いけど、君は君だね。折角だから、やっぱり君にも僕の気晴らしに付き合って貰おうかな」  逃がさないとでも言うようにこちらを射抜く視線は、やはり雲雀の物で、あまりよろしくない状況なのに安心した。
「随分余裕そうだね」
 言われて、安心している場合ではない事を思い出す。
「えぇと…お手柔らかにと言うか、寧ろ十年後の自分にやって頂けると有難いのですが」
「嫌」
 ばっさりと切り捨てられ、はやっぱりと溜息をつく。
 どの道、力では勝てないのだから諦めるしかない。
 大人しく肩の力を抜くと、雲雀は笑みを浮かべた。
 顔面が変形するほどは嫌だが、まぁその当たりは汲んでくれるだろう。
 多分。
 だが、雲雀はの顎を引き寄せるといきなり口唇を塞いだ。
 驚いて思わず口を開けた瞬間に、ぬめりと舌が入りこんでくる。
 舌から逃げようとしたが、逆に絡められ良いように口内を蹂躙される。
「う……ぅん……」
 頭が痺れるような感覚にただ酔わされ、息が続かなくなった所で僅かに離されるが、再び口を塞がれる。
 身長差がある為、無理矢理上を向かされている状態だが、何時の間にか腰に腕が回され支えるようで逃げ場は奪われている。
 鼻にかかった呻き声しか上げる事が出来ず、流石に合間に僅かに許された息継ぎだけでは苦しくなって、胸板を叩くとようやく開放された。
 くらりと力が抜けたが、雲雀がしっかりと腰を支えているので倒れ込まずに済んだ。
「っは……」
 荒い息を繰り返していると、再び雲雀の顔が近づいて来て思わず目を閉じたが、今度はぺろりと舐められた。
 飲み込めなかった唾液が首筋まで伝っていたが、それも雲雀の舌で舐め取られる。
 それにもびくりと反応してしまい、気づいたらしい雲雀がくすりと笑う。
「ご馳走様」
 ちろりと唇を舐めた雲雀に、は深い溜息を吐き出した。
 見慣れない成長した雲雀は格好良いが、それに翻弄されるのかと思うと10年後の自分の身が心配になった。
「これで気が済ん……」
「でないよ。後は十年後の君に払って貰う」
は十年後の自分にそっと心の中で合掌した。
 ひょいっと力の入らない体を横抱きにされ、体を強張らせるとくすくすと笑われた。 「これ以上は、今の君に何かする気はないよ。君は十年前の僕の物だからね」
 雲雀の言葉に、は気づく。
 そう、この雲雀が焦がれているのは十年後の自分なのだ。
 雲雀は雲雀でも、が焦がれているのは今まで自分と居た雲雀だ。
「早く、十年後の俺がここに戻らないとな」
「そうだね。そのためにも、君には教えられるだけの事を全て教えるよ」
 行く末がどうなるかはわからないが、とりあえず自分が託したものを出来る限り託されてみようと思う。
 リングに込めた覚悟を再度確認し、は小さな箱を大切に手の中に握り込んだ。

ー幕ー

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