さくらさくら

 ひらひらと、優美な花弁が舞う。
 地面は見えないほど薄い桜色に覆われ、見事な枝振りの枝垂れ桜が満開に咲き誇っている。
 時折吹く風は暖かく、とてもこの場所がコンクリートで作られた簡素な鍛練場とは思えない。
 雲雀はその光景に小さく息を吐いた。
 これは全て幻だが、その精度は今まで戦った相手に引けは取らない。
 この精度を維持しつつ戦うとなるとまだ難しいが、匣を使えるようになって二日目でこの早さなら、そんな事は瑣末な不安かもしれない。
 とても鍛練場はこんな桜の巨木が入る広さでもないし、地面は桜の花弁が積もっても固いはずだ。
 風は空調設備のものと違い、春の空気を含んだ柔らかな風が吹いている。
 唯一異なるのは、冬のように晴れ渡り澄んだ青空が広がっている所ぐらいか。
 春の空は花曇りが多いが、幻術は術者が思う物を具現化するので、が思う風景が実際と少しぐらい違うのは仕方ない。
 めきめきと力を付けて行くのを見るのは嬉しいが、ミルフィオーレと戦わせるのは気が引ける。
 入れ替わる前から、ボンゴレでもマフィアでもないをこの戦いに関わることは反対していたのだから。
 は皆が戦っているのに、自分だけ安穏としていられないと、大人しくはしていなかった。
 事実、ミルフィオーレはボンゴレファミリーかどうか関係なく、少しでも関わりがあればターゲットにしているため、どんなにが関わらないようにした所で、勝手に巻き込まれてしまう。
 さて、と当のを探すと巨木の根元で、ゆったりと猫のように寝ていた。
 その周りにの匣生物である蝶が、ひらひらと舞っている。
 柔らかな感触の地面を踏みしめながら、そっと近寄ると雲雀に蝶が近付いて来た。手の甲を差し出せば、大人しく乗って翅を休めている。
 匣生物はまだ分からない事が多い。
 作られた物なのに、持ち主の感情に反応し、匣生物自体が感情を持つ物もいる。
 の匣生物は蝶なだけに、他の動物に比べてあまりよく分からないが、概ねが感心のある人間を好むらしい。
 に近付いてみると、はよく眠っていた。
 幻覚は術者の精神状態によって変わってくるし、が元々よく寝る方なので、雲雀は暫くそのままにしておく。
 これが今稽古中のボンゴレの面々なら容赦なく叩き起こすが、にはついつい甘くなる。
 と、そこではっと蝶を見る。
 使用者であるが寝ているのにも関わらず、この空間の幻術は維持されている。
 リングから力を放出し続けたままかとも思ったが、の様子を見るにあまり強い力を常に出しているわけではないらしい。
 ひらり、と今まで大人しくしていた蝶が、ひらひらとの元に向かう。
 雲雀もつられるように、の傍に膝を着くと、今まで閉じていた目蓋がゆっくりと瞬いた。
「んー…」
 ぐっと伸びをする姿は猫そのものだ。
「おはよう」
 目を開けているが、はまだぼんやりとしている。
 桜の木に寄りかかり、寝転んでいるを腕に抱えて膝の上に抱き寄せる。
 髪に鼻先を寄せると、淡い春の香りがした。
 はもぞもぞと動き、自分が楽な体勢を見つけて大人しくなった。
 10年の開きがあるのも気にせず、は今の雲雀と接する。
 変に歳上だとかを気にされるよりは良いが、少し図々しい。
 そこがの良い所で、そんな態度をとるのは自分にだけなので、あまり気にはならないが。
「君が寝ている間も幻術が続いていたようだけど、どういう事?」
 はまだぼんやりとはしていたが、雲雀の問いにくすくすと笑う。
「匣生物ってさ、特異な力以外は同じだから学習能力ってあるかな、って思って」
 曰く、蝶に学習能力があるかは半信半疑だったが、動物は必ず本能がある物だ。
 食べられる餌や、その餌のある場所は、繰り返しの経験などから、本能として継承される。
 おまけに、使う技なども使用者の命令を忠実に使う事が出来る。
 ならばと、が思い描く風景を繰り返し蝶に具現化して貰うと、次第に強いイメージをしなくても、ある程度表現出来るようになったらしい。
 そうなると、蝶に術を記憶させて具現化を任せ、は自由に別の事に集中する事が出来る。
 また、先に力をある程度の量を与えておけば、蝶だけの力で幻術を維持する事も可能だと言う事も分かった。
 そうして色々な幻術を作り出す実験をしていたら、麗らかな陽気に眠くなったらしい。
「成る程ね」
 ひらひらとの指先に止まった蝶を眺め、上手く扱える事に安堵した。
 漆塗りのの匣は、雲雀がの為に探した物だ。
 中身の生物はどんな物か知っていたが、どんな能力を持っているのか等、との相性までは流石に使ってみないと分からない。
 中学生の頃のは戦闘経験などないはずだが、元々物事に対しての飲み込みは早い。
「あまりさ、実践には役立たないだろうけど」
 眠いのか、小さな声でぽそぽそと話すの口元に耳を寄せる。
「桜、見たかったんだ」
 雲雀は嫌いだろうけど、とは少しだけ眉を下げる。
「流石にもう桜に恨みはないよ。10年前はまだだろうけど、君とは何度も桜を見に行っているからね」
「そっか、雲雀も10年経てば、丸くなるかな」
 眩しそうに目を細めるに口付けをしたくなるが、10年前の自分のものである事を思い出す。
 きっと、も自分を通して10年前の自分を見ているはずだ。
「10年前の僕がいまの僕になるかは解らないけど、が望むなら僕は変わるよ」
「そうかな」
「きっとね。そうやって、僕等は変わって来た」
 ひたりと瞳を覗き込むと、は瞬き、やがて顔を逸らした。
 僅かに見える耳が桜色に染まっていて、10年後のとは違う初々しい反応が可愛い。
 雲雀がよく知る、不敵な笑みを浮かべるも勿論綺麗だが。
 どうやら、見慣れない今の成長した自分に見つめられるのは、慣れないらしい。
「ゆっくり、こっちにおいで。こんな世界に来て欲しくはないけど、綺麗に成長した君には、10年前の僕も会いたい筈だから」
 そして、そんな美しいにしたのもこれまでの自分で、今の自分があるのものお陰だ。
「早く、『雲雀の俺』が戻って来ると良いな」
「そうだね。早く終わらせよう」
 額を合わせて二人は笑う。

ー幕ー

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