一時の別れ

 皆が出て行くのを見送り、はくるりと踵を返す。
 そのまま歩きながらリングに炎を灯し、匣を開けた。
 ひらひらと纏わり付くように舞う蝶を指に止まらせると、直ぐに周りの風景が変質し始めていた。
 今まで目の前にあったはずの通路は消え、壁が出来る。
 幻術の力でアジトの中心へと続き道は全て閉ざされたが、無論消えてしまったわけではない。
 念には念を。
 アジトの場所は割れても、中に侵入する事は難しい作りになっている。
 だが、いざという時の為に、笹川京子や三浦ハルらのいる場所だけは死守せねばならない。
 彼女達こそ、一番の被害者なのだから。
 の意志で幻術は解けるし、自分より遥かに強い能力者には役に立たないかもしれないが、それでも目くらましにはなる。
 元々の設備も堅牢なので、幻術と合わせればまず大丈夫な筈だ。
 そのまま、幻術で出来た壁を通り抜けようとして、はふと壁を作らなかった通路を見やる。
 そして、少しだけ逡巡してそちらに向かって足を進めた。
 大広間には何もなく、その中心に傲然と佇む痩身が見えた。
 戦いの前の集中する時間に迷惑かとも思ったが、どの道そんな心配は無用だろう。
 それに「彼」と会うのはきっと最期になるだろうから、今しか会う時間がない。
「雲雀」
 が声を掛けると、雲雀は此方をみて少しだけ纏う殺気を和らげた。
「彼等は行ったかい?」
「行こうか、と聞いたら断られた」
 肩を竦めると、雲雀は当然だと言った。
 ただでさえ、この戦いに巻き込む事に反対だったのだ。
 クロームが万全でない今、幻術師のは貴重な戦力とも言える。
 ある意味、完成度ならツナ達を遥かに上回る力を付けているため、ミルフィオーレの奇襲作戦の人員に加える案もあった。
 しかし、雲雀がにべも無く切り捨て、結局はアジトの守り役として、リボーンやジャンニーニと共に残る事になったのだ。
 万一、アジトが危なくなった時には、敵から姿を眩ませながら逃げるようにと言い含められている。
 最も、の性格を熟知している雲雀は、が彼女等を見捨てて逃げ出すとは思っていないようだった。
「言っておきたい事があったんだ」
 ミルフィオーレが奇襲をこちらに掛けて来るには、まだ時間はありそうだ。
 昨日は奇襲作戦の為に、雲雀もも早く眠ったので、話をする時間があまりなかった。
「ありがとう。10年後の俺の我儘と、今の俺の修行に付き合ってくれて」
 滅多に表情を変えない雲雀にしては、珍しく驚いた様子だった。
「まだ不安はあるけど、こっちに来て少しは力も付いたし」
 元の時間軸に戻ったとして、リングと匣がなくても、以前に比べれば足手まといにはならないだろう。
 雲雀には大分迷惑を掛けてしまったが、有難い事ではあった。
 争いごとは遠慮したいが、のよく知る雲雀はが戦う強さを持つ事に良い顔はしないとは思う。
 だが、としては守られるだけの存在など真っ平御免だったし、普段なら断られそうな戦う術を雲雀から教えて貰うのは純粋に嬉しかった。
 は言葉を重ねる。
「何より『貴方』に会えて良かった」
 完全に、自分達が10年後に今と同じになるかは分からない。
 だが、10年後の雲雀は自分とまだ一緒に居てくれる。
 それだけで幸せに思えた。
「そうだね…僕も『君』に会えて良かった。後は君の『雲雀 恭弥』に任せるよ」
「気を付けて、また貴方の『 』に会えるように俺も頑張るから」
 いうと、雲雀は「頑張るのは君以外の10年前の彼等だよ」と律儀に訂正した。
 自然とどちらからともなく腕を伸ばし、そっとは雲雀の腕の中で目を閉じる。
「ありがとう雲雀」
「どういたしまして」
 そっと額に柔らかな口付けが落とされる。
 瞼、頬と降りて来て、少し迷う様子だったので、から雲雀の口に口付けをした。
 のよく知る雲雀には少し申し訳ない気もするが、同じ雲雀には違いない。
 きっと目の前の雲雀も同じ事を考えて、迷ったのだろう。
 はもう一度、雲雀の胸板に頭を預ける。
「行ってらっしゃい」
「行って来くるよ」
 名残り惜しいがゆっくりと離れ、は振り返らず蝶を引き連れて大広間を出て行く。
 が出て行くと、入り口に壁が出来上がった。
 全く恐ろしい術の精度だ。
 数々の幻術をみて来たが、年齢からすると昔の六道 骸と同じか更に上を行くかもしれない。
 の場合、骸と同じように匣の力を頼らずに幻術が使えわけではないが、十分すぎるほどだ。
 さて、と雲雀は再度これから来るであろう草食動物の群れに思いを馳せる。
 一時の別れを惜しんでいる暇はない。
 自分が望むほどの噛み殺し甲斐のある相手は来ないだろうが、やはり戦うことに関しては心が躍る。
 心配をしてくれたには申し訳ないが、やはり雲雀としてはこの状況は楽しいものでもある。
 誰の邪魔もされる事もなく、一つの群れを狩る事が出来るのだから。
 メインの獲物は、きっと10年後の自分が仕留める事になるだろうから、その辺りがおしい事ではあるが。
 愛しい者と歩む秩序ある世界へ戻すために、己の本能の赴くままに、雲雀はびしりと大きく罅の入った天井を見上げ、薄らと笑った。

ー幕ー

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