子守唄

 初めて来たタカマガハラは、月と違って暖かく、明るい世界だった。
 天神族は争いを好まず、月から突然訪れたウシワカに対しても疑う事無く、暖かく向かい入れてくれた。
 良く言えば温厚、しかし能天気な天神族は、少しばかり警戒心だとか敵愾心だとかを持った方が良い様に思う。最も、余所者の自分に言えたことではないが。
 ふと、神殿の方を見ればウシワカを乗せてきた箱舟ヤマトが、何故か守り神として堂々と鎮座在している。
「何だかなぁ……」
 そんな事はまだ些細な事だ。太陽神アマテラス大神に比べれば。
 一体どんな人かと思えば、アマテラスは人ではなく真白な狼であった。立派な四肢をもち、白い毛に施された朱の隈取、背負いし神器はまさに神というに神々しい姿。尾でしゅるりと描かれる文様によって生み出される力は、太陽神の眷属である十三の筆神によるものではあるが、まさに神業。

 しかし、アマテラス大神はそれだけではなかった。

 遠くから走って来るなり勢いあまってウシワカに激突したり、筆業を誤って神殿に火をつけたり雷を落したり……。
 おおよそ神様とは掛け離れた所行の数々を目の当たりにしたウシワカは、天神族の人々に何度もあの狼がアマテラス大神なのかと聞いたが肯定しか返って来なかった。
 そんなことを思い出して、ウシワカは盛大に溜め息をついて、ごろりと横になった。
 ここは温かくて好きだが、する事もなく日がなごろごろしている事に少し罪悪感が沸いた。
 と、

「……っ避けろ!!」

 唐突な叫び声に何事かと飛び起きた瞬間、白い固まりが突撃して来た。
 鳩尾に走った痛みに、目の前が一瞬白くなる。
「うぅ……」
 呻きながらもなんとか体を起こすと、突撃して来た犯人であるアマテラス大神が転がっていた。
「アマテラスっっ!!」
 聞えて来た声に、がばっと体を起こしたアマテラスは駆け出そうとしたが、ウシワカがすんでのところで尻尾を捉える。
「ウェイト!!」
「キャウン!!」
 抗議の声を上げ、戦闘態勢を取ったアマテラスだが、がばっと横合いから羽交い締めにされて身動きが取れなくなる。
 暴れるアマテラスを抑え込んだ人物は、このタカマガハラでは珍しい黒い髪も持つ、美しい男であった。
 名をと言い、彼はアマテラスの分神である。
 月から見える太陽の黒い点が即ち彼であり、天神族と共にアマテラスの御目付け役なのだと言う。
 太陽の黒い点が日によって動く事から、高天原をあまり知らない月の民は鴉が住んでいると思っていたのだが、実際に太陽が狼なのでまさか黒点の方が人だとは思わなかった。
「大丈夫か? ウシワカ」
「ノープロブレム……と言いたいところだけど、打った所が打った所だけにか なり響きそうだね」
 済まなそうなにウシワカは軽く手を振った。
 元はと言えば、アマテラスが原因なのである。恨めしげにアマテラスを見ると、未だになんとか逃れ様とじたばたとしているが、流石に自らの分神に筆業を仕掛けたりはしないらしい。
「ここ一週間、全く体を洗っていないからいい加減洗おうとしたら……」
 の溜め息に、ウシワカも溜め息を付いた。
 ウシワカがアマテラスに神のイメージを壊されたのは、案外これが大きかった様に思う。
 そう、アマテラスは大の風呂嫌いなのだ。
 水に飛び込んだりする事はあるくせに、体を洗おうとすると逃げる。高速ダッシュでや天神族から逃げる。
 初めてタカマガハラに来て初めてアマテラスに会ったのは、白い体が薄汚れて逃げ回っている姿だった。唖然とするウシワカに、申し訳なさそうに頭を抱えるの姿が懐かしい。
「少しの間我慢すれば良いものを……何故そんなに嫌がるのか……」
「仮にもユーはゴッドなのにね……」
 とりあえず二人で運んで、無理やり嫌がるアマテラスを運び、清らかな泉へ文字通り投げ入れた。
 天神族の少女達に取り囲まれてもみくちゃにされ、ようやくアマテラスも観念したらしく、厭そうに鼻に皺を寄せながらも大人しくしている。
 それを横目に眺めながら、ウシワカとは傍の柔らかな草の上に腰を下ろ した。
 多少のんびりしているきらいはあるが、はアマテラスや他の天神族とは違いウシワカと似た思考を持っているので、話し相手には都合がいい。
「ねぇ、ミーがユー達に出きる事って何かないかな?」
 このタカマガハラの人はアマテラスがあの気性だからか、利害などを考える事などないのだろうが、それでも何もせずに置いてもらうのは気が引ける。
 最も、何かと言っても、特別何が出来るわけでもないが。
 先ほどまで考えていたことを尋ねれば、少ない言葉からでも何となく察してくれたらしいは、形の良い顎を摘んで首を傾げた。
「と言われてもな……私も皆もさして特別な事をしているわけではないし」
 アマテラスはいるだけで遍く全てを照らし、天神族はアマテラスの世話掛りと言ったポジションである。
 はと言えば、強くアマテラスを怒る事が出来ない天神族に代わって、アマテラスを叱ったりとこちらもあまり変わらない。
 タカマガハラではアマテラスに関すること以外、本当にやる事がないように思えた。
 しばらく悩んでいただったが、名案を思いついたとでも言うようにぽむっと手を打ち合わせる。
「笛を……笛の音を聞かせてくれないか?」
 言われた言葉に、ウシワカは間抜けな声を出した。
「アマテラスが拗ねて神殿から出てこなかった時、笛の音で出て来てくれただろう? あの笛の音をまた聞かせてくれないか」
 月から唯一持って来たその笛は、故郷の月を思い出させるのであまり好きではなかった。
 そして、自身が吹くにしても対して上手くない。
 それでも、この人達が好きだといってくれるならと、ウシワカは笑った。
がそういうなら、何時でもこの笛を吹こう」
 丁度、綺麗にされたアマテラスがこちらに駆けよって来たので、丁度良いとウシワカは笛を取り出す。
 何時の間にやらアマテラスを洗っていた天神族の少女達も集まり、暖かな日の光の元、穏やかな音と時が流れた

ー幕ー

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