ぽつり、ぽつりと細い絹のような雫が落ちてきた。

 朝は晴れていたので、生憎と傘などは持っておらず、手塚は小さく溜め息を

付いた。

 本格的に振り出さないうちにと、少々歩調を早く進めるが、小粒の雨は次第

に大粒の物へと変わってゆく。

 慌ててシャッターの閉まっている商店の屋根に入ったところで、バケツをひ

っくり返した様に雨が酷くなった。

 鞄からタオルを取り出して、大雑把に濡れた髪や鞄を拭いた所で、さてと考

える。

 ここから家まで走れば十分ほどで、なんとか帰れなくもない。

 もう少し待ってもいいが、止まなかった場合は覚悟を決めなければならない

だろう。

 止みそうにない空を見上げて溜め息をついた時だった。

「傘をお貸ししましょうか?」

 横合いから響いた柔らかな声にそちらを見ると、一人の男性が立っていた。

 整った顔立ちで、ゆったりとした着流しを纏うその姿は、良い意味で周囲か

らその存在を際立たせている。

 その心遣いは嬉しいが、見ればその人が手にしているのは今さしている一本

だけで、予備は持っていないように見えた。

「いえ、ここから家までは近いので大丈夫です」

「止むまで待っていたら、帰るのが遅くなってしまいますよ。それに、直ぐ三

分ほどで私の家ですから、途中まで一緒にこの傘に入って行ってくだされば、

家にある傘を直ぐにお貸しできますので」

 手塚は少し考えて、素直に頷いた。

「お言葉に甘えさせて頂きます」

「一人用で少し濡れるかも知れませんがどうぞ」

 傘に入れてくれたその人は、名を と名乗った。

 入れてもらった傘は確かに小さいが、が小柄で背も低い為、手塚が傘を持

つとそんなに気にはならなかった。

「わざわざありがとうございます」

「良いんですよ。こちらも一人で退屈でしたので、話し相手が出来て嬉しい限

りです」

 やわらかく微笑むその顔に思わず見とれる。年上の男性に対して失礼ではある

が、ころころ変わる表情のせいか幾分幼く見えた。

「ここですよ」

 ふと意識を戻すと、小さな門のある一軒屋の前にいた。

 小さいが手入れされた庭と、木造の二階建てのしっかりした家。

 傘だけ借りるつもりだったのだが、どうぞと促されて結局玄関まで上がらせ

てもらった。

「ゆっくりしていってもらっても構いませんが、知らない人の家にいるのも危

ないですしね」

 せめて水気を取るのにと清潔なタオルと、先ほど使っていた傘とは違う大き

めの丈夫な傘を差し出される。

 先ほどの濡れた物でも良かったし、タオルまで借りるのは恐縮したが、穏や

かに微笑まれて結局礼をいって受け取った。

「きちんと返しに伺います」

「いえいえ、親切の押し売りのようなものですから、時間がある時で構いませ

んよ」

 濡れるから良いといったのだが、は門のところまで見送ってくれた。

 冷たく寒い雨も、今日ばかりは暖かく感じられた。

ー幕ー

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