こちらを向いて

「放してください!」
 その声に、はすっと目を細める。
 雑踏の中でも聞き間違える事のない、愛しい人の声。
 そっと視線を走らせれば、数人の男に囲まれた小さな影。
 今が新選組の巡察中でなければ叩き斬っているだろうが、生憎と勝手な真似が出来ない。
 なにより、この組織にいるのも愛しい人のためなのだから、幾らその相手が危機に陥っていてもここでのこのこ出て行くわけにもいかない。
 命が危ないなら躊躇いはないが、田舎者の男達が往来で人を斬るとも思えない。
 周りにいる町人たちは遠巻きに眺めているだけで、役に立ちそうにないのが腹立たしいが。
 と
 男達に割って入る人影があった。
 新選組にここ最近出入りし、巡察について来るようになった少年だ。
 否、表向きには少年という事になっているが、実のところ少女である事は知っている。
 なんにせよ、彼女の御蔭で助かったらしい事をみてほっとする。
 二番隊組長である沖田が二人の少女に近づき、なにやら会話をしてそのまま男に絡まれていた少女が立ち去る。
 そのまま何事もなかったかのように巡察が続いたが、は何とも釈然としなかった。


「薫ちゃんさーあの沖田が好きなわけ?」
 露骨に嫌な顔を見せた薫に、不機嫌なのはこっちの方だと文句を言いたくなる。
「興味はあるよ」
「俺という恋人がいながら浮気とは……あんな裏表のある二重人格より俺のがずっといい男だろ」
 ぶつぶつ言い返してみても。薫は溜息を付いただけ。
 女装をしているが、薫は男である。
 だが、性別など気にすることなく、はずっとこうして薫の事を好きだの愛しているだの睦言を言い続けている。
 最も、それを一度とて受け入れられたことはないのだが。
 薫自身、現実主義者であり色恋沙汰など興味自体が薄いのだ。
 というよりは、人に対する興味が薄い。
 目下、薫が今のところ興味を持っているのは生き別れた妹と、その妹と一緒にいる新選組だ。
 はひと目見た時から薫が好きで、何やかんや無理やり距離を縮めてきた。
 それがようやく功を奏して、普段の表面の良いおしとやかな風情ではなく、素の表情で接してくれるようになった。
 単に猫を被るのが面倒になったのだけかもしれないが、それでもにとっては嬉しい事だ。
 普段の人前で晒す表情も可愛いが、素の冷たい表情も可愛いと思う辺り末期かもしれない。
 は薫のためなら何でもやると勝手に決めており、今は新選組に入り込み薫の駒として情報収集を行っている。
 そんな中で、思いもよらぬところで薫と妹の接点が出来たのだ。
 薫自身、生き別れた妹が大切で元の様に仲良く過ごしたい、などというありきたりな考えを持っていない事は知っていた。だが、妹と一緒にいた沖田に興味を示したのは意外だった。
 単に妹が慕う男だからちょっかいを掛けたのか、はたまたついに恋愛感情に芽生えたのか。
 これまで距離を縮めてきたにとっては、思わぬ伏兵で屯所に帰る同中、背中から沖田を叩き斬ってやろうかと考えていたぐらいだ。
 生憎そこまで短気な性格でもないし、下手に喧嘩を売って今後の情報収集が出来なくなると薫の為にならないので大人しくしていたが。
「お前が考えているような事はないよ。ただ、ちょっかい出してやろうと思っただけ」
 うっそりと笑う薫に、の機嫌は些か下降気味になる。
 理由がどうであれ、人に興味をあまり示さない薫の意識を持って行ってしまう人間が出ただけも、にとっては十分脅威だ。
「にしてもさ、妹のこと気になるわけ? 何にも覚えてねーみたいだけど。ぬくぬくと平和に暮らして、『父様さがし』だってよ」
「やけに今日は絡むね」
「そりゃ、俺に向けられた事ないからな。そんな熱い視線と想いはさ」
 隣に立つのだって、苦労したのだ。
 と出会ってしばらくはずっと警戒されていた。今までの境遇を思えば簡単に人を信じられないのは知っていたので、根気強く付き合ってきてようやく隣にいる事を許された。
 だが、ぽっと出の生き別れの妹には興味をあっさりと持って行かれるし、どこぞの馬の骨とも知れぬ男にまで声を掛ける始末。
 こっちは声を掛けられる事などほとんどなく、一方的に声を掛けまくっていたのに。
 この扱いの差は何だと問いたいが、薫に詰め寄っても仕方ないので、苛立ちは自然と新選組と薫の妹に向けられる。
 それに今まであまり自分から行動したことがない薫が、新選組の邪魔をしたと言う事も気になっていた。
 屯所にいる妹とよく似た女の噂は、下っ端であるの耳にも入っている。
 あまり薫の行動にとやかく口を挟むつもりはないが、沖田には少なくとも目を付けられているだろう。
「嫉妬? 醜いね」
「醜い嫉妬心をむき出しにして薫の興味がひけるなら、とことん嫉妬してやろうかってぐらいの気概はあるぞ」
 は薫のどんな感情でも、自分に向けられるなら何でも良いと思っている。
 それこそ愛でも、喜びでも、恨みでも、憎悪でも、嘲りでも、憐れみでも。そういう意味では、ぬくぬくと過ごして来た生き別れの妹に、薫は少なくとも恨みに近い妬みぐらい持っているのだろう。
 そんな感情を向けられる彼女を羨ましいとさえ思うのだ。
 さて、と伸びをして、はくるりと背後を振り返る。
「んで、こそこそと誰とかくれんぼしてんのは誰かな。出てこいよ」
 目を細めて、先ほどから向けられている視線の主を見定める。
 慌てて逃げ出そうとする人影に向かって、は素早く小刀を投じた。
 小刀は見事足に命中し、狙い澄ました腱を切断したらしい。
 盛大に転んだ男に、はゆっくりと近づくと、そこには浅葱色のだんだら羽織の男がいた。
「なんだ。野良犬か」
「お前も今はその群れの一人だろ。付けられているの知ってたな」
 にべもない薫の言葉に、は笑みを深くする。
「あぁ、だって下っ端の俺が人を殺せる機会って少ないんだよ。あとはさ、好きな奴の目の前で良いとこ見せる機会だろ?」
 必死に逃げようとする男に、は刀を抜いて動けない足を踏みつける。
「貴様……」
「悪いが、俺は基本的に興味のない物を覚えない性質でね。だから新選組の羽織を着ててもお前の顔なんて知らない……だけど、このまま見逃すわけにはいかねぇんだよなァ」
 恐怖に歪んだ男の顔をまじまじと見ては見るが、同じ新選組の者であるとは思うがには覚えがない。
 まぁついてきた男が悪いのだからここは素直に、憂さ晴らしの相手になってもらおう。
 最も手ごたえはない相手なので、あまり気が晴れるとも思えないが。
 しゅっと刀を一閃させると、寸分の狂いもなく綺麗に頭と胴が分かたれた。
 吹きあがる血を軽く避け、刀に付いた血脂を払う。平隊士の身分の為、あまり良い刀ではないがこのまま鞘に納める訳にもいかず、死んだ男の袴にこすって落とす。
 少しは気が晴れるかと思ったが、やはりそんなに変わらない。
 むしろ血臭で余計に神経が逆なでされる。
 だがこれ以上、女の姿をした薫が夜をぶらつくのも危ないし、八つ当たりしかねないのでは努めて明るい口調と表情に切り替えた。
「さて、夜の逢瀬もこれぐらいにしておこうか。名残り惜しいけど、夜更かしは肌に良くないからな」
 今の京はあまり治安も良いとはいないし、やはりこれ以上遅くなっては薫の身も心配だ。
 かといって送り届ける事も出来ないのが歯がゆいが。

 短く呼ばれて、は足を止める。
 普段からあまり人の名前を呼ばない薫にしては珍しい事だった。
 それと同時に、自分が何故いらいらしていたのかも解った。
『沖田さん』
 初対面である沖田を、あっさりと薫が名前で呼んだことが気に入らなかったのだ。
 今さら、本当に醜いつまらない嫉妬のせいでぶちぶちと文句を言っていた自分がほんの少し情けなくなる。
「何、薫」
 努めて平静に返すと、ゆっくりと薫がこちらに歩み寄って来る。
「お前の事、嫌いじゃないよ」
 何時もの意地の悪そうな笑みと言葉に、はしばし固まる。
 そのまま唖然として薫を眺めていると、今度は薫が不機嫌そうに眉根を寄せた。
「何その顔」
「えーっと……初めて割と好意的な言葉だったから……その」
 言い淀むと、薫はさらに眉間に皺を寄せた。
「僕は嫌いな人間を傍に置いておくほど物好きじゃないよ」
「あぁ、まぁ知ってるけどさー……」
 愛しているとか好きだとか、そんな睦言は望んでいないが、もう少し自分に興味を持ってほしい。
 執着に近い醜い感情を押し付けられる薫にしてみれば迷惑だろうが。
「お前は千鶴にはなれないよ」
 こちらに歩み寄って来た薫は何時もと変わらぬ表情だ。
「知ってるよ。ってか、なりたくはないね」
 薫の寵愛を受けられたとしても、は今の自分が何だかんだ言って気に入っている。ただただ守られるだけの、足手まといになるなどごめんだ。
 じっと黒い漆黒の瞳がに見据えられる。

「素面の『南雲薫』で居られるのは千鶴でもなく、の傍だけだよ」

 ゆっくりと抱きしめられて、は柔らかな香のする肩に顔を埋める。
「それでは不満?」
 悪戯っぽく囁かれ、は顔を上げると目線を合わせた。
「不満。俺は俺の持てる全てを薫に捧げてんだからさ」
 にっと笑みを浮かべると薫は口元に笑みを浮かべる。
「……強欲。千鶴に僕の望む苦しみを与えたら、全てをやっても良いよ」
 歌うように心地よい声には目を細める。

 後少し、後少しで想い人の悲願が成就する。
 そうすれば今度こそ、こちらを向いてくれるだろうか?
 は薫の腕の中で、うっそりと笑みを浮かべた。

ー幕ー

Back