喉が乾く。 空は暗く、降り注ぐ滴は大粒。 手のひらに溜まるそれを一口飲んで見たが、こんな物で渇きがいえるはずも ない。 この渇きを癒せるのはただ一つ、芳しい鉄錆を放つ鮮血のみ。 適当に歩いている女を引っ掛けて血を得ていたが、いくら傷口を消しても感 づかれるので一箇所に留まれない。 現代を生きる吸血鬼にとって、混沌とした都会は生き易いものの、簡単に人 を襲う事は出来ない。 殺して相当な血を得ることが出来ても、存在を知られる危険性もあるし、何 より人を殺す事は厭だった。 化物なのは重々承知だが、それでも人間は嫌いではない。 そんな事を考えていても渇きが癒える事はなく、視界が翳む。 吸血鬼と恐れられた者が情けない。 このまま血を得ずに死ぬのもそれはそれで良いかもしれない。 もう数え切れぬほどの歳を生きてきたのだから。 ずるりと体が傾げ、はそのまま意識を闇に落した。 喉が乾く。 生理的欲求に目が覚めて見ると、そこは外ではなく何処かの部屋であった。 考えて見れば自分は吸血鬼であり、杭を打たれたり、一部分も残さずに焼き 尽くされるまでは死なない。 「起きたか」 そう声を掛けられて、そちらを向くと誰かが入って来たところだった。 まずい、と理性が警告するが、それに本能が勝る。 獲物が目の前に存在するのだ。 この渇きを癒す事の出来る獲物が。 「どうした何処か痛むか?」 誰かも解らぬ者が近寄って来た瞬間、無意識に体が動いた。 するりと手を伸ばし媚を売る女の様に首に腕を回した。 ほんの少し慌てた様だがそれを無視して首筋に牙をつきたてた。 「っっ!!」 零れ出た鮮血を舐めたところで、広がる苦味に理性が戻った。 「何しやがる!!」 「悪……い……」 喉を焼くような苦味に玲は、掌に啜った血を吐き出した。 怯える獲物を無理やり食らうと、吸血鬼にとって毒になる。 中には毒を物ともせず、好んで啜る物好きもいるらしいが、が食らう時は 恐怖や痛みを獲物に感じさせずに甘い血液を得るのが普通だった。 吐き気や何とも言えない不快感で目じりに涙が浮かぶ。 「お前、何もんだ……」 「古より……生き長らえる化物だ……吸血鬼だとか呼ばれている」 先ほどのあれがあれば嘘だと笑い飛ばす事は出来ないだろう。 獲物を渇望する時に染まる血のような瞳が、柔らかな肉を切り裂く白く尖っ た犬歯が、人ならざる者だと証明している。 しかし、首筋に噛みつかれたというのに、目の前の者はの前に水の入った グラスを差出した。 受けとって喉に流し込むと、苦い血の味が僅かに薄れる。 「で、何で俺の家の前に倒れてたんだ」 「ここ最近……血を飲んでいない……」 短い言葉だったが、それで伝わったらしい。 「さっきの血はお前に合わなかったとか言うんじゃねーだろうな?」 「恐怖や痛みを味わっている者から得ると、それは毒になる」 初耳だと楽しげな声に、は顔を上げた。 まともに見たのは今が初めてだが、目の前の男は整った顔立ちの強い目を持 っていた。それでも思ったよりも子供で驚いた。 ある意味子供だったから恐れを直ぐに忘れるのかもしれない。 「血はどれだけ飲めば事足りる」 何を言い出すのかと目の前の酔狂をみれば、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。 「全身の血はやれないが、少しだったら分けてやってもいいぜ」 「何を……」 言っているのだろう。 は自分の方こそ化物なのに、目の前のこの男の方が恐ろしく思えた。 「その代わり、ここにいろ」 寄せられた首筋から先ほどとは違う、甘い香りが漂う。 ごくりと喉が鳴った。 「俺はお前を気に入った。だからお前がこの血を啜る時にもう恐れは感じねぇ よ」 自分は今、相当情けない顔なのかもしれない。 「解った……血を契約とす……」 甘い血の香りに酔いそうなりながら、首筋に舌を這わせる。 流れ出る久々の血を気が済むまで適度に舐め取り、傷口を塞いだ。 喉の渇きが癒えた事で、それ以外の疲れに意識が遠のく。 「済まない……」 眠る寸前に発した言葉は伝わったのだろうかと、意識の片隅で思うが直ぐに 闇に消されて行った。 ー幕ー |