ここはどこだ。 問うたところで自分以外誰もいないこの場所で、返事が返ってくるとも思えないので、とりあえず持ち合わせの煙草に火をつける。 肺一杯に吸い込んで、ふっと息を吐くと辺りに独特の香りが広がり、少しささくれ立った神経が落ち着いてくる。 それからぐるりと辺りを見回せば、ここはどうやら自分が居たところとは違うらしい。 そもそも、自分は公園で人と約束をしていて、時間まで余裕があったのでベンチで惰眠を貪っていた筈だ。 だが、目を開けてみてみれば、起きた場所は鬱蒼とした森の中。 しかもベンチで寝ていたはずが、樹齢うん百年はありそうな巨木の根元で寝ていた。 夢かと思ったが、聞こえる音、肌で感じる空気、手で木を触れた感触、どれもとても夢とは思えぬリアリティーがある。 となれば誘拐か、はたまた何かの事件に巻き込まれて山中に置いていかれたのか。 幸い携帯は持っていたので開いてみると、時間こそ示しているが圏外となっており、役には立たなさそうだった。 フィルター近くまでなった煙草を携帯灰皿で押しつぶす。ずっと立ち止まっていた所で現状は変わらないので、仕方なく歩き出す。 森だと思ったここは地面の傾斜から山であったらしく、それでも難なく降りることは出来たが、目の前に広がる光景に頭が痛くなる。 「どこぞの農村だ」 一面に広がる田んぼで農作業をしているのは、着物を着た老若男女。 その光景は昭和初期のような、どこか懐かしさがあるが、近代化が進んだ現代ではありえない光景でもある。 本当にのどかな光景だ。 ワイシャツに黒のジャケットと言う、のどかな光景とは違和感ありすぎの格好のせいか、あまり出て行く気にもならず、木陰で様子を伺うに留める。 そもそも何かがおかしい。 その違和感がなんなのか気になり、再び煙草を取り出して火をつける。 しばらく眺めていて、ようやくその違和感に辿り着いた。 「今の時期に田植え……?」 自分が居たのは秋である。 今の時期ともなれば、黄金色の稲穂が頭をたれているそんな収穫の時期であるはずだ。 時期が完全にずれている。 おまけに、どんな田舎で昔からの生活をしていたとしても、電気はなくてはならない代物だ。 町の景観を崩さぬために電線を地面に埋めているところは少なからずあるが、それにしても鉄塔やら電信柱が見えないことも疑問だった。 さてどうするか、と煙草の煙を吐き出したところで、がさりと背後で茂みが鳴った。 「おおここの村の方でござるか、お尋ねしたい事が……」 その茂みから出てきた人物としばし目が合い、そしてお互いに固まった。 目の前に出てきた人物は、全身真っ赤の男だった。 肌の色はもちろん肌色なのだが、着ているものが全て赤。大変目に痛く暑苦しい。 「そなたは何者でござるか」 さっと表情を変えた男に、ふっと紫煙を吐き出す。 「それはこっちが聞きてぇな。人に名乗るときには自分からってのが基本だろ?」 臆せずにいうと、男は慌てて姿勢を正した。 「そなたの言う事は最もでござる。失礼した、某は真田 幸村」 丁寧に頭まで下げて名乗ったが、それを聞いて逆に聞かなければよかったとさえ思う。 季節の違い、生活する人々の服装や家屋、それから目の前の男の名前と話し方。 煙草がやけに苦く感じて、フィルターを僅かに噛んだ。 そういえば名前を聞いただけで、こちらが名乗っていない事に気づいた。 「俺は 。ただの迷いモノだから、ここらのことは分からん。違う奴に聞くんだな」 携帯灰皿で煙草を押しつぶし、残りの煙草を確認する。 もう既に残りは少なく、嘆息した。何時も癖でやたらと吸ってしまうが、当てがなさそうなこんな所で使ってしまうのは惜しい気がした。 「迷ったのでござるか?」 真剣な面持ちに思わず笑みを漏らすと、反対に不思議そうな顔をされた。 どうにも、相手は警戒心だとかそう言った物は持ち合わせていないらしい。日本は安全な国とは言われているが、通り魔などが日常的に起こりうる。まずは疑ってかかってしまう現代人とは反対に、ここの人間はそんな事は思わないのだろうか。 「迷ったのなら大変でござる。とはいえ、某も実は迷っておるのだが……」 困ったように首を傾げた幸村に、は苦笑する。 「なら、なおさら俺に構わない方がよさそうだ。俺は、ここに居るべき人間ですらないかもしれない」 本当なら夢、であって欲しいところだが、五感で感じる全てのものは到底夢とは思えず、そして突きつけられた事実を纏めれば、ここは遠い過去の時代、もしくはそれに近い別の世界なのではないか。 幸村は首を傾げていたが、理解できぬのも不思議はない。 自身が完全に理解していないのに、今会ったばかりの他人に判るはずも無い。 「まぁ深く考えなくて良いさ。それより、用事があったんだろ? 不審者に聞くよりもあっちの人間に聞きな」 とりあえず、他人に構うよりは己の現状打破が最優先事項である事は間違いない。 立ち去るよう促したが、相手が動かないのには首を傾げる。 「殿は南蛮人でござるか?」 咥えようとしていたフィルターを思わず落としそうになり、慌ててキャッチする。 本数が少ない煙草を無駄にしたくはない。 「南蛮人?」 俺の何処を見て、と思ったが髪の色は染めているし、来ているものは着物ではないし、確かにそうかもしれない。 「いや、日本語通じてるだろ。まぁ英語もできっけど……俺は生粋の日本人だ」 幸村はしばし悩んだ後、ぱっと顔を輝かせた。 「迷ったのならお館様のところに来れば良いでござる!!」 唐突のその言葉に、はげそーっとなる。 「お前さ、人を疑うって知らねーんだな」 普通、見たこともない服装の人間を見たら間違いなく不審者だ。仮に、目の前の人物を街中で見かけたら、お近づきになりたくはない。 そんな人間を連れて行くなど余程の物好きか、裏があるかである。 ただ、幸村を見ていると、どうにも裏がありそうには見えないので、恐らくは前者だ。 「まぁ行くとこはねーけど……」 「お館様なら大丈夫でござるよ!!」 その大丈夫と言う自信が何処から来るのかだとか、色々突っ込みどころはあるが、とにかくこのままほっつき歩くわけにも行かないだろう。 『お館様』がどのような人物か分からないが、まぁ運良ければ少しの間くらいは衣食住の確保も出来る。 仮にだまされているのだとしたら、見抜けなかった自分の責任であり、その時はその時である。 はそう考え、とりあえず幸村に頷いた。 「とりあえずはその『お館様』に会ってみるわ。けど、お前自身が迷ってて帰れるのか?」 首を傾げた幸村に、ははぁと溜息を付く。 「分かった。まず最初に、その辺の農家から場所聞いて来い。ついでに何かいらない着物があったら貰って来い」 なんにせよ優先させるべきは現在地の確認と、己の目立つ格好を何とかすることである。 幸村は意気込んで、勢いよく走って行ったが、「たのもー!!!」という道場破りのような声に、は今日何度目になるか分からない溜息を付いた。 ー幕ー |