苦さも甘く

 呼ばれてそちらを見ると、今まで酒を煽っていたクロスがこちらを見つめていた。

「なんだ?」

 尋ねながら、は読んでいた本のページに栞を挟む。

「あれからもう三時間は経ったぞ。そろそろ休め」

 ちらりと時計を見ると、確かに時計の針は進んでいて、窓の外も次第に綺麗な茜色に染まりつつあった。

 はベッドからクロスのいるソファへ移動する。

 その様子を満足そうに眺めたクロスは、ワインの入ったグラスを差し出して来た。

 言葉だけならこちらの心配をしているようだが、つまるところ飽きてきたのだろう。

 互いに根無し草な身の上だが、改造した無線ゴーレムなどで連絡を取り合い、近場にいればたまにこうして会う事もある。

 とはいえ、それも半年に一度あるかないかで、会わない時には三年ぐらい会わない事もある。

 会った時には何をしているかと言えば、こうして一つの宿にいても適当にそれぞれの時間を過ごしている事が多い。

 この部屋に入ってからというもの、はずっと本を読んでいて確かにそろそろ喉も渇いて来たところだ。

 素直にグラスを受け取り、クロスの隣に腰を下ろす。

 直ぐに肩に手を回されたが、もう慣れた事なので気にしない。

 もう一度呼ばれて、グラスから口を離してクロスの方を向くと、唐突に口づけが落とされる。

 それだけでなく、油断して薄く開いた唇から何かを押し込まれた。

 口づけは直ぐに終わったが、口の中に残るそれをは舌の上で転がした。

 それはとても甘く、舌の上で柔らかく融けてゆく。

 の口に入れられたのは、先ほどから酒のつまみ代わりにクロスが食べていたチョコレートだ。

 酒のつまみにチョコレートという組み合わせは、最初は不思議に思ったがこうして一緒に食べて見ると悪くはない。

 本を読んで少し疲れた頭に、適度な糖分はありがたい。

「口移しの必要があるのか?」

 最も、何かにつけて体に触れたがるクロスにとって特に意味もないのだろうが。

「この方が余計甘くなるだろ。それに、今日はバレンタインだからな」

 恋人に花やお菓子を贈り合う日。

 そう考えてみれば、今日は二月十四日だった……かもしれない。

 生憎と、規則正しい生活を送れているわけではないので、日付感覚も時間間隔も完全にくるっている。

 同じような環境で放浪しているクロスが何故知っているかと言えば、ひとえに女性の絡む行事だからだろう。

「そう言えばそうだったな……」

 今まで放浪していても、こうして何かの祝日に会う事もなく、やけに機嫌が良かったのを思い出す。

「女性と過ごさなくていいのか?」

 あちらこちらに手を付けた女性がいるクロスのことだ、こういった日は引く手数多だろう。

「今日、共に過ごすならお前が良いんだよ」

 言って、クロスは再び自分の口にチョコレートを放り込むと、またの唇に口づけを落とす。

 舌で差し入れられたそれを受け取り、今度はそのまま口づけが続けられる。

 じわりとチョコレートが融け、それを嚥下した所でようやく離される。

「ビターでも十分甘いな。もっと苦くても良かったか」

 満足気に唇を舌で舐め、どうでもよい感想を漏らすクロスに、は僅かに嘆息する。

 空になった自分とクロスのグラスに、空いているワインを注ぐ。

「あぁ、来月の同じ日、今度はお前が用意しろよ」

 の長い髪を遊びながら、良い事を思いついたと言わんばかりに、クロスが楽しげに笑う。

「無理じゃないか? 流石に」

 今までのペースを考えると、来月に会うのは無理な気がする。

 ノアの一族に動きがないとしても、相変わらずアクマは山ほどいるのだし、そもそも移り気なクロスが同じ様なところにいると思えない。

「何なら、来月の十四日まで一緒に行動したって良いんだが?」

 遊んでいたの髪に、クロスが音を立てて口付けを落とす。

「では、連れだって久々の『ホーム』にでも行くか? 嫌でも一カ月以上拘束されそうだがな」

 言ってやると、クロスは本気で嫌そうな顔をした。

 エクソシストやファインダーがホームと呼ぶ教団本部は、クロスやにとっては窮屈過ぎて、進んで戻る気にはなれない場所だ。

 思ったよりもどんよりと影を背負っているので、くすくすとは笑う。

「来月、時間が会えば用意してやろう」

 驚いたような表情のクロスに、はそっと囁く。

「ただし、それまで遊郭通いするなよ」

 言うと、本気でクロスは頭を抱えて悩み始め、そんな様子を眺めながらは箱からチョコレートを一つ摘まんで口に含む。

 同じ箱のチョコレートだと言うのに、今度のはやけに苦みを強く残して口の中に溶けた。

ー幕ー

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