普段泊まる宿より、多少ランクの安い宿。 基本的に浪費家で、自分にかける金に糸目はつけないクロスは、あまりこういった安宿に泊まる事はない。大抵こういう場所は、娼婦なんかと一夜を共にする時ぐらいか、他に選びようがなく野宿よりマシだという時以外には。 安い宿は安いだけあって、家具の質も食事もよろしくないので、あまり進んで利用したくないのである。 とはいえ、そんな場所にクロスがいる理由は、同じエクソシストであり最愛の恋人であるの指定だからである。 運よく会えたのが丁度バレンタインであり、酒とチョコを振る舞ったのが一ヶ月前。 そして逢瀬を楽しみながら、ふと思いつきで一ヶ月後の同じ日に今度はお前が返せ、という口約束をして、今日が丁度その日に当たる。 エクソシストというだけでも何時死ぬかも解らぬ身の上である。そんな中で、クロスとは特にその危険も高かった。 普通、エクソシストと呼ばれる者は教団本部を拠点として活動する。任務が終わって別の任務へそのまま向かうにしろ、時間がかかっても教団本部に帰るのだ。 それゆえに、教団本部はホームとも呼ばれている。 所が、クロスもも教団本部が煩わしく、ほぼ浮雲のように一所に留まることはない。 お互いそんな身の上なだけに、自分から言い出しつつもまさかがクロスの提案をあっさりと受け入れると思わず、大層驚いた。 だが断るなどという選択肢はクロスには端っからなく、こうして異例の短期間での再び逢瀬が叶う事となったのだ。 その分、から出された逢瀬の約束である「遊郭通いと娼婦を買う事を禁止する」という言いつけにより、非常に切ない思いもしたのだが。 だが、それも晴れて報われ、こうしてを待っているのだ。 こつこつと階段を上って来る足音に、クロスは機嫌よく立ち上がる。 誰か、なんぞ問わなくても気配や足音で既に誰かなど解っている。 ぎっと軋んだ音を立ててドアを開くと、そこにはやはりが立っていた。 「遅れて済まなかったな」 「いや、それより怪我はしてねぇか」 無線ゴーレムで遅れる、という旨の連絡が入った時、の背後から聞こえた物音や声でアクマと交戦中だと言うのが知れた。 手を貸しに行こうかとも考えたのだが、様子を察するにレベル1程度の輩のようだったので、気にした風もなく待つ旨を返したのだ。 さっと目を走らせても、の体に怪我などはないようだった。 怪我はない代わりに、両腕で抱えた紙袋が大きくそちらの方が大変だったので持ってやる。 どうやら遅れたのは、アクマのせいだけでもなかったらしい。 が買い込んで来た紙袋には、酒やらつまみやらがたんまりと入っている。 「先に埃落とすか? にしても、安宿取らなくともここらなら良いホテルもあっただろう」 そうすれば、わざわざアクマとの交戦後に物を買い込む必要もなく、おまけに広くゆったりとしたバスルームも使えるのだ。 「いや、大きな場所だと人も集まるだろう?」 は良いながら、コートを廊下で軽く叩き、ついでに放り出してあったクロスの分もハンガーにかけて一緒にクロゼットに入れている。 こういったところはそこらの女より几帳面だ。 が懸念するのは、人に化けたアクマの襲撃だ。クロスはマリアの「聖母ノ加護」によって姿を隠す事もできるし、と自分ぐらいならそれも容易い。 だが、はクロスと会う時にイノセンスを発動するのに躊躇いがあるらしい。 こうして会っている時ぐらいは、やはりアクマとの戦争を忘れたいのだろう。 「あ、先に飲んでいてくれ」 安宿のバスルームは全客共同だが、小さな作りなために一人づつしか使えない。そのため、安心しての姿を見送った。 適当に待っていると、こつこつと階段を登る足音が聞こえてくる。 そのまま待っていたが、入って来る気配がないのでクロスはやや首を傾げる。 立ち上がってドアを開けると、立っていたのはやはりで、埃を落として先ほどよりもさっぱりとしていた。 だが、またもや手に大きな物を持っていた。 「あぁ、助かった」 「なんだそりゃ」 が手にしているのは大きな盆で、その上には安宿で出すとは思えない料理が乗っていた。 「下のキッチンを借りたんだ。来た時に食材をおかみに預けたら、風呂に入っている間に下ごしらえが出来ていてな。御蔭で完全に私の手作りとは言えないが」 笑ってそう言うは、簡素なテーブルにそれらを並べる。 「旅をしていると、あまり料理をする事もないからな」 確かに、どんな街に言っても大抵はレストランなどがあるし、野宿の際にも携帯食料もあるので食うには困らない。 だが、料理となるとほとんどする事もなかった。最も、クロスは旅をしていなくとも自分でそんな事をする気はないが。 「酷く久々で手伝ってもらって逆に良かったかもしれん。あぁ、味の方は大丈夫だ、おかみの保障付きだ」 楽しげに笑うと向かい合い、久々に手料理と言う物を味わう。 レストランの物も人が作っているのだから、手料理と言えば手料理なのだが、そんなモノとは比べモノにならなかった。 味付けもシンプルなものだが、酒を好むクロスに合わせてくれているのだろう。 二人でグラスを傾けながら、料理をつつく。 安宿なので、頼りない照明器具しかないのだが、逆にそれが落ち着いた灯となって柔らかにの顔を照らす。 「先月の『お返し』はお気に召したか」 ふふっと柔らかく笑うにクロスも深い笑みを浮かべる。 「美味い飯に美味い酒……ついでにもう一つ、美味い物があれば十分なんだがな」 「そう言うと思った」 あっさりと返された言葉に、クロスは瞬きする。普段ならさらりと流されるのだが、今日に限ってやけに素直だなと喜び半分で思っていると、がさがさと紙袋を漁って何かを取り出す。 はい、と満面の笑みで差し出されたのは、綺麗にラッピングされた小さな袋。 自信満々に差しだされて受け取ってみると、見た目の割にやけに袋は軽い。 「何だこれ?」 思ったままを口にすると、 「開けてみれば良いだろう」 と当たり前の事を返された。 きらきらと光るリボンをほどいて中を開けてみると、ふわふわとした丸い物がいくつも入っている。 「マシュマロ……」 「バレンタインのお返しに、と宣伝していたのでな」 トリュフを食べながら酒を飲んでいただろう、と自信満々にいうだが、それとこれとは微妙に違う気がする。 というか、別に甘い物が食べたいのではないのだが……。 期待とは違うが、何時になく楽しげな様子のにクロスはふっと息をつく。 「貰っておく」 そう言えば、は今日一番の美しい笑みを浮かべた。 ー幕ー |