Per il mio Tesoro prezioso

 日差しも次第に暖かくなり、陽だまり色の菜の花が風にそよぎ始める。

「いい天気だ」

 窓を仰ぎ見て、ジョットは琥珀色の目を猫のように細める。

 日本とイタリアは気候が似ている為、大分過ごしやすい。

 母国の四季も好きだが、ぼんやりとした日本の空に、淡い薄いピンクの花をつける桜が花開く日本の春がジョットは好きだった。

 まだ桜が咲くには時期が早いが、この分ならあと半月もすれば咲くかもしれない。

 さて、とジョットはそっと家主の部屋をそっと窺う。

 次の世代に交代したというのに、日本人の性格ゆえか は文机の前で紙の束や巻物に何事かを記している。

 は今でこそ引退したが、ジャパニーズ・マフィアである家の始祖であり、今のところ平穏に過ごしていた。

 日本はあまり外国に開けた国ではないが、それでも外界との繋がりあるので、不当な干渉も多い。

 しかし、イタリアン・マフィアであるボンゴレファミリーを起こしたジョットが、引退後に日本に居ることでそれも大分少なくなっていた。

 日本という国にはもともと興味があり、そこでボンゴレファミリーと似た成り立ちの家の事を知った。

 遠く離れた場所にあるため連絡を取り合うのは難しかったが、それでもお互いに何かと助け合ってやってきた。

 そのうち、数回しか顔を合わせたことがないのに、に惚れ惹かれていった。

 分かたれた距離がもどかしく、そして根が真面目で何でも抱え込んでしまうを思って、ボンゴレのボスの座をさっさと譲って渡航してきたのだ。

 ジョットが来て大分気も楽になったようで、以前よりも大分穏やかな表情で笑うようになったが、引退したというのに何かにつけて奏上家の当主としての仕事を手助けしているのは変わりない。

 なかなかジョットのように、極楽隠居というわけにもいかないらしい。

 声をかければ、ぱっとが顔を上げる。

「ジョットか……どうかしたか?」

 そっと近づいて頬に手を添えて確認すれば、目の下に隈もなく顔色もよい。

 最初はやたら触ると慌てられたり、顔を赤くしたりして反応が楽しかったのだが、最近は慣れてきたらしくさほどそういうこともなくなった。

 それはそれでつまらないのだが、逆にそれだけ己の存在が浸透していると思えば、それはそれで喜ばしい事である。

 たまに自分の体そっちのけで没頭してしまうので、たまにこうして声をかけたり休憩させたりするのがジョットの役割となりつつある。

「少し出かけて来る。顔色が良いようだが、余り根詰め過ぎるなよ」

 ジョットの言葉に、はくすくすと笑った。

「それぐらい解ってるさ」

 優しく髪を撫でて、夕時までに戻ると告げて屋敷を後にした。

「親仁殿いるか?」

 あまり大きくない質素な小屋に声をかけると、小柄な体の老人がひょっこりと姿を見せる。

「おや旦那、今度は何ですかい」

 親仁、旦那と呼び合うほどにジョットはこの小柄な老人と既に顔なじみになっていた。

 この老人は辺りでは有名な植木職人であり、立派な木や美しい花を咲かせる。

 花を贈ることが多いイタリア人のジョットは、たびたび世話になっている。

 案外淡白ながBuon San Valentinoに用意していたとは思いもよらなかったので、何も返せていない。

 そんなわけで、Buon San Valentinoの丁度一月後なので、何か特別なイベントもないが何か花を返そうと思っている。

「今度も難しい注文かね」

 半分苦笑い気味の店主に、ジョットは笑う。

 に贈る花束のために栽培の難しい花を頼んだり、ジョットの国の文化であるBuon San Valentinoの際には、から大輪の薔薇の花を頼まれたり、何かとわがままを常に聞いてもらっている。

 その注文を裏切られたことがないので、ついつい何時も頼んでしまう。その分、のおかげで評判もさらによくなり、色々なところで声がかかるようになっているので、お互い様ではあるのだが。

Margheritaマルゲリータという花が欲しいんだが」

 店主はジョットの言葉に、深いため息をついた。

 イタリアでは当たり前にある花が日本にはなかったり、イタリアではローザというが、日本では薔薇といように同じ花なのに名前が違う事があるので何ともややこしい。

「んー……『まるげりーた』ねぇ。はてどんな花やら」

 こうなると後は特徴などから似た花を見せてもらい、あるかないかを判別することとなる。

「花自体は丸くて小さいものだ。花弁が白か濃い紅で小さく細かいのが密集していて、花の中心が黄色い」

 ジョットの言葉に、店主がそれに近い鉢を幾つか持ってくる。

「この中にあるかね」

 鉢を見比べ、一つの花が目に留まる。

「多分、これだな」

 指で指示したのは、小さな花がこんもりと咲く鉢である。紅色と真っ白な物があり、ジョットは白い花の鉢を手にとって眺める。

 イタリアで見るマルゲリータと少し違うが、恐らくは同じ様な種類の花なのだろう。

「『まるげりーた』は雛菊っと」

 店主は早めに見つかり、安心した表情でジョットのイタリア語の花名を書きとめる帳簿に、新たな項目が書き加える。

「ジャッポーネでは『雛菊』というのか?」

「あぁ、だがつい最近入って来た珍しい花なのさ。こっちにある小菊や大菊は昔からある種類だがね」

 指し示めされた他の鉢は、似ているが若干花弁が大きいものから、花の形状自体が全く違う物まで、実に菊とつくのに様々な物がある。

「珍しいもんだけど、愛でてこその花だ。持ってって旦那の所の華のように愛でてやんな」

「有り難く貰って行く」

 腕に収まる鉢には、小さくも大輪の花にも劣らぬ美しい姿で咲き誇っていた。

 声をかけてそっと玲の私室を覗くと、相変わらずは文机の前に居た。

 とはいえ、今までずっと書類をしていたわけでもないらしく、顔を覗きこめばどこかぼんやりしているので寝ていたのかもしれない。

「お帰り。もう夕刻か」

「ただいま。そんなところで寝たら風邪を引くと言ったろう?」

 言いながら、ジョットは手に持っていた鉢をそっと文机の傍に置く。

 こんもりと咲き誇る白い花に玲は猫のように目を細める。

「小菊か……?」

「いや、『雛菊』といって、日本に入って来たばかりの種類らしい。イタリアではマルゲリータと言うのだがな」

 は柔らかく微笑みながら白い花弁に手を伸ばす。

「花の意味は無垢、純潔、明朗。純潔はまぁ……あれだが、お前のような花だろう」

 花弁を撫でる手を引き寄せ、雛菊と同じ白い指先に口づけを落としていく。

「お前は良くそんな言葉がぽんぽんと出てくるな」

「Buon San Valentinoのお返しだ。熱烈なプロポーズを受けたからな」

 ジョットの言葉に玲は首を傾げている。日本人は全ての花に意味を持たせるわけではないので、薔薇の意味なぞ気にせず、はジョットの話から選んだのだろう。

「薔薇の意味は『私はあなたにふさわしい』」

 少し意地の悪い笑みで言えば、の肌が赤く染まる。

 他にも色々と意味があるのだが、まぁ都合良い所以外はどうでもいいのだ。

Per il mio Tesoro preziosoペル・イル・ミオ・テゾーロ・プレツィオーゾ

 抱き寄せて言の葉を紡げば、少し照れくさそうに、それでも日の元で咲く花のように、艶やかにがほほ笑む。

 ふわりと吹き込む風で、白い花がゆらりと揺れた。

ー幕ー

イタリア語注釈

Buon San Valentino
ヴォン・サン・ヴァレンティーノ……バレンタインデー

Margherita
マリゲリータ……イタリアの国花。雛菊、またはフランスギクの事。日本には明治初期に輸入された。

Per il mio Tesoro prezioso
ペル・イル・ミオ・テゾーロ・プレツィオーゾ……我の尊き宝へ

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