静かに時間が流れる中で、トランクに荷物を積める音だけ響いて神田は小さく息をついた。 長期任務を言い渡されたのは昨日なのに今更準備を始めるのはらしくないという自覚はあったが、どうしても任務自体に気が乗らずこうして行く直前に準備をしている。 もともと少ない身の回りの物を一通り積める単純な作業だけにすぐ終わるのだが、ふと神田が時計に目をやると午前八時を指したところだった。 出かけるまであと三十分といったところに来て、神田は渋々黒い団服に身を包んだ。 煩わしい事に今日からの任務には神田以外にも、ディフェンダーを始めアレンも同行する事になっている。 アクマの数もそれなりに多そうで面倒だと思っていると、控えめなノックと共に耳に馴染んだ声が響いた。 「少しいいかな」 「あぁ」 いつもの通りの短い返事にカチャリと開いた扉の向こうには、思った通り待ち望んでいたがいて神田は少し安堵した。 出かける前に会おうかと悩んだが手を伸ばせば触れる距離にがいて、神田はこの距離が心地よいと思う反面、これから暫く離れる事を考えて自然と眉間に皺が寄った。 「任務で暫く帰って来ないってラビから聞いてさ」 「あぁ」 神田の頭の中でいつものオレンジ色の頭がふわふわと楽しそうに揺れていたが、すぐに蹴りを入れて追い出した。 こんな時くらい邪魔するのは勘弁して欲しい、今度会ったら六幻で叩き切ってやろうと心に決めて神田はを見つめた。 いつもの団服を着ていないは軽装で、ふわりと神田に笑いかけるとベッドにどさりと腰掛けた。 「俺も今日午後からリナリーとラビと一緒の任務だし。……あんまり怪我するなよ?」 寂しそうに言われるとどうしていいかわからなくて、結局子供だましのように自分より低い位置にある頭を撫でて誤魔化す事しか出来ない。 柔らかい髪が心地よくてしばらく味わっているとまっすぐな瞳がこちらを向いていて、神田は小さく笑っての身体をそっと抱き締めた。 「絶対とは言い切れない。善処はする」 神田がそう言うとは嬉しそうに笑って、優しい手で神田の腰に手を回して抱き締めなおした。 「行く前に渡したいものあったんだ。神田、これ受け取ってくれる?」 そう言って神田から少し離れたは、青い包装紙に包まれた小さな四角い箱を神田に差し出した。 「ホワイトデー……だったな」 「うん。3倍とはいかなかったけど」 「別にそんな事気にしねぇよ」 バレンタインデーにチョコを送ったのは何を隠そうこの自分で、チョコなんて甘いものを買ったことも人にあげる事も初めての経験だった。 まさか人に渡す日が来るとは思いもしなかったが、あの笑みを見られただけ良かったと思う。 お返しの催促をしたわけでもないし、ましてやホワイトデーという日だということすらつい先ほどまで忘れていた自分が少し笑えて神田は苦笑した。 といると知らなかった自分が見えてきて、楽しい反面苦く思うことも正直ある。 アクマとの戦うエクソシストとしての自分と、このままと一緒に平穏に過ごしていきたいと願う自分。 相反しているがどちらも自分の一部に違いはない。 「開けていいか?」 「どうぞ」 嬉しそうに笑みを浮かべての手から箱を受け取り、綺麗にラッピングをはがしていくのをは少し緊張しながら見つめた。 箱の中から姿を見せたのは綺麗に並べられた可愛らしいトリュフで、既製品にしては形がバラバラだった事から手作りだとわかる。 「お前、作ったのか」 「あ、うん。味見はしたから保証するし、ビターにしたから」 ふぅんと相槌を返して神田は箱を閉じるとコートのポケットへと入れて、床に放置されていたトランクを手にした。 「食べないのか?」 「もったいねぇだろ。列車の中でゆっくり、な」 にやりと笑みを浮かべる神田に、は大切に食べようと思ってくれているのが嬉しくて笑顔を向けた。 「帰ってきたら感想聞かせて」 「あぁ」 神田の後に続いて部屋を出ると神田は真面目な顔をしていて、トランクを床に置くとの耳の傍に唇を寄せた。 「お前こそ浮気、するなよ」 「なっ……しないっ」 その日、待ち合わせの場所に来たアレンは珍しく笑みを浮かべている神田を見る事になるのだが、チョコを見せつけられて居た堪れない気持ちになるのはもう少し先の話。 ー幕ー |